最後のひとり。case5――ドリル

      2016/05/05

ドリル

 このブログの主宰者から、2016年はさる年なのでその最初の記事はぜひサルのなかまでと依頼された(とはいえ、あまりの遅筆で、この原稿を書いているのは既に2月も下旬になり、今年の干支なんて「ああそういえばさる年だったね」くらいにしか意識されなくなっているだろう。予めお詫び申し上げる…)。筆者は普段、霊長類65種という世界最多のコレクションをもつ動物園で働いており、それこそ「最後のひとり」のワゴンセールみたいな場所にいる。サルでのネタには事欠かないが、ここではあえて、自園ではなく、よその動物園に暮らすサルのなかまで「最後のひとり」を紹介したい。日本での栄枯盛衰ぶりがとりわけ際立つ一種だ。

case5:ドリル

 マンドリルというサルは多くの人がご存じだろう。特にオトナのオスの、真っ赤な鼻筋と青白く盛り上がった頬、黄色いひげ、お尻も紫がかったピンクという、全身が極彩色でエキセントリックな、サルのなかまだ。ところでそのごく近縁な種類に、「ドリル」という種類がいるのはあまり知られていない。「マン」が足りないだけでこうも違うのかというほど、地味だ。形や大きさについてはこの両種はほとんど同じなのだが、マンドリルの派手な原色の部分が、ドリルではすべて黒い。全身がくすんだ茶色と黒でできている。近縁な2種がどうしてこうも両極端なのかと、不思議なくらいだ。

ドリルとマンドリル

左がドリルで右がマンドリル。形はほぼ同じなのになぜこうも色彩が異なるのだろう。

 ドリルもマンドリルも野生では中部アフリカの西海岸側の熱帯雨林地域に生息する。ドリルの方が北側でナイジェリアやカメルーン北部に、マンドリルがカメルーン南部やガボンなどに分布する。イヌのような長く突き出た顔が共通することから、ドリルやマンドリルはヒヒのなかまに分類されてきた。マントヒヒやアヌビスヒヒなどのヒヒと近縁であることには違いないようだが、面長なのは“他人の空似”であり、近縁であることの証拠にはならないというような説も最近出てきたらしい(顔は短いけどマンガベイのなかまのほうがもっと真のヒヒに近いらしい)。
 そんなドリルに今回は光を当てたい。主役は、大阪の天王寺動物園で暮らすドンというオスの個体だ。同園のWEBサイト等によると、1996年4月に同園で生まれたとのことで、今年で20歳になる。一般的なサルとしては中高年の域に入る。2014年まで愛知県犬山市の日本モンキーセンターにもメスのエトナという個体がいたが、同年5月に22歳で死亡してから、天王寺のドンが最後のひとりとなった。現在はサル舎の長屋のいちばん端っこで暮らしている。壮年のドリルだけあって、なかなか立派な体格で迫力がある。まさに、サル舎の“首領(ドン)”と呼ぶにふさわしい貫禄の個体だ。隣には同じくオスのマンドリルもいて、特徴的な両種を見比べることのできるいい展示となっている。

ドン

大阪に20年暮らすドン。大きな犬歯を見せつけるあくびは大迫力だ。

 この平成の世に最後のひとりとなってしまったドリルだが、実は日本の動物園での飼育の歴史は非常に長く、戦前にまでさかのぼる。調べた限りでは、1933年にドイツのハーゲンベックから上野動物園に入ったオスの個体が最古の記録のようだ。この個体は、残念なことに来日からわずか2年後に結核で亡くなった。
 その後、戦争を挟み、一時は日本列島内でのドリルの飼育は途切れた。1941年6月に日本動物園協会(現在の公益社団法人日本動物園水族館協会、以下日動水)が発行した『動物園と水族館』第1号の加盟園の飼育動物リストによると、昌慶苑動物園でただ1頭が飼育されるのみであった。この昌慶苑動物園、正式には「京城李王職昌慶苑動物園」といい、韓国はソウルにあったものだ。“列島外の日本”が存在した時期で、この動物園も日本が作ったため、同協会に加盟していたようだ(ちなみに昌慶苑動物園は後に郊外のソウル大公園へ移転し、現在のソウル動物園に至る)。すなわち、純粋な日本国内では、戦後すぐの頃にはドリルの飼育はおこなわれていなかったことになる。
 その後、いつ頃からドリルが復活したのか正確には調べることができなかったが、複数の施設でそれなりの数が飼育されたようだ。例えば、日本国内に飼育の記録のなかった上記の「第1号」から20年が経過した1961年の日動水の資料を見ると、8園で12頭が飼育されているという記録があった。初繁殖の記録は1967年のひらかたパーク(大阪)であり、以後は繁殖も続いていったものと思われる。日本モンキーセンターでも、たった2頭のファウンダー(創始個体)から、何度も近親交配が繰り返され20頭近く繁殖した記録が残っていた。それらの個体は千葉市・浜松・天王寺やドイツのヴッパタールなどへ出たり、交換で替わりの個体が来たりしていたため、結構な規模の飼育状況が伺える。さらにいくつかの園では、同居していたマンドリルとの間に“ドリマンヒヒ”と名付けられた種間雑種が生まれた記録さえある。
 このように、長く飼育され続け、それなりに殖えもしていたドリルという種が、今まさに大阪のドンただ1頭という事態まで落ち込み、“絶滅”の瀬戸際にいる。いっぽうで、ほぼ同じような長い歴史の中で同じように飼育されてきた近縁のマンドリルは、今でも多くの動物園で飼育され、人気者だ。この2種を比べることで、動物園から動物がいなくなっていく原因に新たな知見が得られるかもしれない。今回の記事では詳しい調査は避けるが、推測の範囲でその原因を仮定すると、例えば、個体情報を集約し全国的な繁殖管理計画を立てるタイミングの問題などの要因がまず考えられる。あるいは日本に入ったファウンダー数が少なく遺伝的多様性が乏しかったのかもしれないし、マンドリルかドリルの二者択一で展示するなら派手なほうを選ぶという人為選択がかかっていたのかもしれない。長く飼育された種なので飼育下の環境に向かない特性などというのは考えにくいが、社会性などの点で持続可能な個体群の確立に影響する要因があった可能性もある。輸入・繁殖の記録や個体数動態などの情報から、ぜひ分析してみたい案件だ。
 過去を振り返って学ぶべきことは多くあると思う。ドリルの栄枯盛衰劇を繰り返したくないのであれば、現存する種類でもいま一度立ち返って見てみることが重要だろう。

綿貫宏史朗
1986年熊本県生まれ。東京農工大学獣医学科を卒業後、京都大学霊長類研究所に勤務。現在、同研究所の研究員および公益財団法人日本モンキーセンターにて学術部所属キュレーター(兼任)を務める。学生時代より動物園マニアとして活動を展開し、国内外の約200ヶ所の動物園・水族館を訪問。2009年よりNPO法人市民ZOOネットワークの理事も務める。

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