あなたの家には、何が出る?
2016/05/09
ゴキブリが嫌いである。
幼いころ、顔面に向かって飛んできたクロゴキブリにそのまま体を這いずられるという経験をしたことがトラウマとなり、以来その黒光りする姿を目にするだけで、身体機能の一部がフリーズするようになってしまった。
克服を目論み、マダガスカルオオゴキブリの飼育に手を出したこともあるが、その試みもうまくはいかなかった。甲虫のような佇まいをした成虫はともかく、見るからにゴキブリの姿をしている幼虫には耐えられず、正視することがついぞできなかったのだ。
結局、私は今もゴキブリが嫌いなままだ。
この感情が、偏見に基づくものであることはわかっている。ゴキブリのうち、人家に出没し衛生害虫として扱われるものはごくわずかで、ほとんどのゴキブリは野外でひっそりと暮らしているということは、子どもの頃から知っていた。
それでも、私はこの感情を振り払うことができない。
ケース越しにその姿を眺めるのならばともかく、直に目の前に現れたら、あまつさえ手に乗りでもしたら、たとえ野外性の種であっても、おそらくパニックに陥ることだろう。
頭ではわかっていても、染み付いた嫌悪感を拭い去るのは難しいのだ。
そんな私でも、楽しんで読めたゴキブリの本がある。
盛口満さんの、『わっ、ゴキブリだ!』という本だ。
沖縄文化大学で准教授を勤める盛口さんが、その職に就く前、沖縄でフリーランスの理科教師をやっていた頃に出版されたこの本は、ユーモア溢れる筆致に笑いながら、ゴキブリについて学ぶことのできる内容になっている。掲載されている図はすべて盛口さんの手によるイラストであり、写真は一切出てこないので、ゴキブリが嫌いな人でも不意打ちで昏倒することなく、安心してページをめくることができるだろう。ゴキブリ怖い、でも、ちょっと興味がある、というような人(そんな人いるのだろうか?)にはうってつけの1冊だと思う。
興味深いのは、知られざるゴキブリの生態を解き明かすだけでなく、ゴキブリと人との関係について、「衛生害虫」としてではない観点から考察しているところだ。
ゴキブリを追いかける中で、盛口さんは、「生活空間に出没する“普通の”ゴキブリ」が、地域によって異なることに気がつく。
首都圏ではクロゴキブリ、沖縄の都市部ではワモンゴキブリ。屋久島ではひとつの島の中に、クロゴキブリの出る家、ワモンゴキブリの出る家、チャバネゴキブリの出る家、サツマゴキブリの出る家が混在する。家に出るゴキブリなんてどこでも一緒、と思いがちがけれど、実はこんなにも、バリエーションに富んでいるのだ。そしてそれは、その土地の土地柄を表していたりもする。森の中で朽木を食べて生きているオオゴキブリが民家に現れるのは、人と自然の距離が近い土地であることの証明だ。そこで盛口さんは、「どんなゴキブリが出るのか?」を軸に、全国を巡り始める。
この、「ゴキブリを通じて土地を見る」視点が、私にはとてもおもしろく感じられた。京都に熱帯性のワモンゴキブリが増えている、という話を聞けば「えっ」と思うし、行って確かめてみたくなる。屋久島ではオオゴキブリが家に出るなら、その姿を見てみたいとさえ思ってしまう。ゴキブリは嫌いなはずなのに。
読者をそういう気持ちにしてしまうところが、うまいな、と私は思う。日本には52種類のゴキブリがいるんですよ、という情報だけなら「ふーん」で終わってしまっただろうけれど、「土地によって、家によって、出るゴキブリが違うんだ」と言われると、ほんとかよ、と思いながら、興味を抱かずにはいられない。旅に出たとき、土地によって異なる文化や習俗に触れてみたい、と思うみたいに、いつの間にか、ゴキブリに思いを馳せている自分がいる。そういう本は、なかなかない。
この本を読めば、自宅の安アパートで、旅先の民宿で、「その影」に怯えてしまうのを、わずかなりとも軽減できるかもしれない。「この土地には、何が出るのか」という興味を持っていれば、望まない遭遇の中にも一条の光を見出すことができるだろう。たとえ、好きになることができないとしても。
騙されたと思って、読んでみるといいと思う。