人間の多様性を楽しむ。

      2016/05/09

 私の出身地は千葉県である。
 正確に言うと山口県だが、物心ついてからはずっと千葉県で育ったので、ほぼ千葉県生まれと言っていい。
 千葉県の小学校では、毎朝、ホームルームで担任の先生が出欠を取ることを、「健康観察」と呼んでいる。名前を呼ばれた児童は、返事をするだけでなく、続けて自身の健康状態を報告しなければならないことになっているからである。「はい、元気です」とか、「はい、ちょっと風邪気味です」というように。先生は出欠に加えてその内容を記録する。だから健康観察というわけだ。
 これがローカルな風習であることを、私は大学に入るまで知らなかった。ホームルームで名前を呼ばれたら、「はい」の後に「元気です」をつける。これが当たり前のことだと、ずっと思っていた。そんなの、全国的にはちっとも当たり前じゃないということを知った時には、とても驚いたものだ。
 自分が思っている「当たり前」は、時と場所が変わればまったく当たり前ではなくなるのだということを、「健康観察」を通じて私は知った。
 似たような経験は、誰しも持っているのではないかと思う。
 そんな「当たり前の相対性」を切り口として書かれた生き物の本がある。
 盛口満さんの『シダの扉』(八坂書房)という本である。

 この本で盛口さんは、「人間との関わりの多様性」という観点から、シダという「地味な」植物に光を当てている。
 シダ植物の利用法は、土地によって様々だ。たとえば私たち日本本土に暮らす人間にとって、ワラビやツクシを食べるのは「当たり前」のことだけれど、沖縄ではそのどちらも食用となることはない。ハワイ人が食用とするためにわざわざ移入したのと同じシダに、日本人は見向きもしないなんてこともある。イギリスではシダの本の冒頭に、「シダなんて(役に立たない)ものがなんで存在するのかわからない」というような文句が書かれていたりする。シダ植物の利用ひとつとっても、人間の文化は多様性に富んでいるのだ。『シダの扉』は、そのような多様性のおもしろさを入り口にして、シダ植物の不思議へと読者を誘う。「沖縄の人はワラビを芋だと思っている。おまけに、本土でワラビと呼ばれているシダとは別のシダをワラビと呼んでいる」みたいなことに驚き、おもしろがるうちに、次第にシダという生き物の魅力に引き込まれてしまう、という寸法だ。
 著者の術中にはまり、シダの扉を押し開けてしまうところまで行くかどうかは人によるとしても、本で取り上げられてる、「人間の多様性」はとても興味深いものである。ある地域では食用とし、ある地域ではカゴを編む材料に、また別の地域では伝統舞踊の首飾りにと様々にシダを利用する人たちがいる一方で、イギリス人のように、シダに有用性をほとんど見出さない人たちもいる。胞子が風に乗って広がることで、ハワイのような海洋島を含む世界中に分布するようなものもあるシダの仲間に対するこのような反応の違いは、そのまま、その文化が自然に向ける眼差しの違いを反映しているように思われて、興味をそそられずにはいられない。『シダの扉』は、まるで地域ごとに異なるお雑煮の具のバリエーションを楽しむように、生き物を通じて、「人間の多様性」を楽しむことのできる1冊である。
 「〇〇県民はこんな県民性!」と議論するのが楽しい人なら、同様の楽しさを、この本から汲み出すことができるだろう。
 「当たり前」はいつでも相対的なもの。その違いに心を折るのではなく、楽しむ余裕を持つことができれば、人生はきっと豊かになるに違いない。
 その一環として、この本を読んでみたらどうだろう、と私は思う。
 シダの扉は開けられなくとも、バカの壁くらいは超えられるはずだ。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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