「生体」販売は禁止しないで欲しい。

   

 インターネットで動物関連の情報を追いかけていると、しばしば、「ペットショップでの(犬猫の)生体販売を禁止するべきだ」という主張を目にする。安易な衝動買いによる飼育放棄も、パピーミルによる虐待的な犬の生産も、もとはといえば店頭での生体販売が元凶になっている。だからそれをやめるべきだ、という意見だ。
 このような主張は、犬や猫が好きで、その適性飼育について真剣に考えている人たちから発せられるもので、もっともだと思う点も多い。犬猫の入手ルートを、優良ブリーダーからの直接購入に絞れば、知識も適正も持たない者による安易な購入は絶たれ、不幸な末路を辿る犬猫は激減することだろう。彼らのことを第一に考えれば、いっそそうしてしまうのが手っ取り早いはずだ。
 それにも関わらず、「店頭での生体販売の禁止」を主張する人を見かけるともやもやしてしまうのは、私が爬虫類キーパーだからである。
 「生体」という言葉は、犬猫に限らず生きた動物ならなんでも指し示すことのできる言葉だ。グッピーだってベルツノガエルだってマダガスカルオオゴキブリだって「生体」である。つまり、「生体」という言葉だけでは、それがなんの生き物を指しているのかはわからない。だから、犬猫について何かを言いたいのであれば、本当なら「犬猫の生体」と但し書きをしなければならない。それにも関わらず、「生体販売の禁止」という文句を口にするとき、あるいは文字にするときに、「犬猫の」という但し書きをつける人を、少なくとも私はあまり見たことがない。多くの場合、彼ら/彼女らは、「生体」という言葉を、「犬猫」という意味(あるいは「犬」という意味)で使っている。まるで、犬猫以外にペットショップでは「生体」は売られていないとでも言うように。犬猫以外の「生体」をむしろ主体として飼育生活を営んできた私は、そこに違和感を覚えてしまうのである。あるいは彼ら/彼女らは、「どんな動物も犬猫と同様の基準で扱うべきだ」という考えから、特に種を限定せず、「生体」という言葉を使っているのかもしれないが、そうだとしても、犬とトカゲの扱い方は違うから(輸送のとき、犬は飼い主の顔が見えた方が安心するだろうが、トカゲは何も見えない方が安心する)、ひとくくりに扱おうとする考えにはやはり違和感を感じてしまう。
 まあ要するに、「マジョリティだからって傲慢な言葉遣いしてんじゃねぇぞ」と僻んでいるのである。
 ただ、実際ひとくくりに扱われると問題があるのは確かだ。
 犬猫と違って爬虫類の場合、国内ブリーダーによる生産量が、需要をまかないきれていない。日本で売られ、買われていくほとんどの爬虫類は、海外の原産国で捕まえられてきたものか、海外のブリーダーによって繁殖されたものだ。日本は、爬虫類の流通をおおむね輸入に頼っている。海外から輸入したものを、店頭で売る。それが爬虫類のデフォルトだ。そのような状況で、店頭販売が禁止され、ブリーダーからの直接購入のみ認められることになったら、流通量も入手機会も、ほとんど「崩壊」と言っていいレベルで減少してしまう。それは困る。
 いや、別に、自分が爬虫類を飼えなくなるから困ると言っているわけではない。
 困るのは、外国産の爬虫類の入手が困難になることによって、たとえば子どもたちが、「遠くの自然」を間近に感じる機会が失われるおそれがあるからである。
 21世紀は環境の世紀だと言われる。実際、自然環境のことを無視して勝手をしていては、人類の存続は困難となる危険性が高い。しかし、「環境のことを考えて行動しなさい」とただ命じるだけでは、人は(とくに子どもは)「なんだかめんどうくさい」と思うだけだ。教科書の内容を覚えさせられるだけの小学校の授業が楽しかったという人は少ないだろう。自発的に自然環境のことを考え、行動できるようになってもらうためには、まず関心を持ってもらわなくてはならない。はっきり言えば、「自然はおもしろい」と思ってもらわなければならない。そのためには、実際に「自然に触れる」体験が不可欠だ。そのとき、飼育動物は、格好の教材となる。
 それなら、なにも外国産の動物を飼わなくても、その辺のヘビやトカゲを捕まえて飼えばいいのではないか、と思われるかもしれないけれど、それは違う。身近な「足元の自然」を理解することももちろん大事だが、人間の経済活動が地球規模で行われている現代においては、それだけでは足りないのだ。2980万円の格安住宅が東南アジアの森林を破壊している現代にあっては、日常生活の中ではなかなか触れる機会のない「遠くの自然」にまで目を向けてもらう必要がある。そのために、「遠くの自然」の使者たる動物たちには、人々の手の届く場所にいて欲しいのである。そもそも、「自然を理解する」とは「多様性を理解する」ということである。「日本のトカゲ」と「ボルネオのトカゲ」が「こんなに違う!」ということを理解してはじめて、それぞれの土地に根付いた生態系のかけがえのなさを痛感することができる。わざわざ外国産の動物を国内に流通させる意義は、そこにある(少なくとも、そこに求められうる)。
 もちろん、爬虫類を飼育した人の全員が、自然環境に強い関心を持つようになるわけではないだろう。愛玩動物としての飼育に終始する人も少なくないはずだ。だとしても――かりに爬虫類飼育を通じて自然環境に関心を持つようになる人の割り合いが100人に1人なのだとしても――、「回路が開かれている」こと自体が重要なのだ。
 私は、持続可能な範囲内で、多くの野生動物が流通していた方が「環境教育」という観点から好もしいと思っている。もちろん、そうして流通する動物たちが不当な扱いを受けないようにしなければならないが、アニマルライツを重視し過ぎる余り過度な規制をかけることは、環境教育という点では逆効果ではないかと考える。とりわけ人の生活と自然とが乖離しがちな現代にあっては、少しでも多く「自然」を感じられる回路が用意されていた方がいい。
 だから、犬猫と同列の規制を爬虫類(に限らないけど)にかけるのは勘弁してほしいな、と思うのである。
 動物を飼う目的は愛玩だけにあるのではない。人に飼われる動物は、犬猫だけではない。種によって、適正な扱い方も異なる。
 そこをはっきりさせるために、できれば、生体販売を議論するときには、「どの動物を念頭においているか」を明示してほしいなと思う。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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