カメを散歩に連れだそう。

      2016/03/18

 日中とても暖かかったので、カメたちを連れて散歩に行ってきた。
 近所の河川敷に、カメを遊ばせるのに丁度よい場所があるのだ。
 ヘルマンリクガメのウルキオラはまだ小さいので、ヨツユビリクガメのチビを連れて行った。
 爬虫類は基本的に、散歩などさせる生き物ではないけれど、リクガメに限っては、適切な場所があれば時々散歩をさせるのは悪いことではないと思う。太陽光をしっかり浴びることができるし、本来はとても広い範囲を歩きまわる動物である彼らの、運動不足を多少なりとも緩和することができる。野草は野菜よりも、彼らの栄養欲求を満たしやすい食べ物だ。
 うららかな春の日差しの下、河川敷に放たれたチビは、はじめのうちこそ緊張していたものの、すぐにずんずんと歩き出し、屋外を堪能しはじめた。
 数歩ごとに首を伸ばしてあたりをうかがい、風の匂いを嗅いでいる様子はなかなか楽しげである。
 気が向くと、足元の雑草を食べている。
 タンポポの花をむしゃむしゃと味わって、また歩き出す。
 網蓋越しに、側溝の中を覗き込んで何事か思案しはじめる。
 見ているこちらも楽しい。
 と、意外なことが起こった。
「あの……」
 側溝を迂回したチビが、今度はオオバコを食している様をしゃがんで眺めていた私に、頭上から話しかける者が現れたのである。
 人影に驚いてチビは甲羅の中にひっこんだ。顔をあげると、立っていたのは20代と思われる女性であった。
 同じく散歩中の犬や保育園児が集まってくることはよくあるが(どちらもカメにとっては危機的状況だ)、これははじめてのパターンだ。
 TKのシャツを着ていてよかった、と内心思う。
 女性はおずおずと続けた。
「カメ、散歩させてるんですか?」
「……ええ。そうですけど」
「写真、撮らせていただいてもいいですか?」
「写真、ですか」
 見れば、彼女は首から、キヤノンのデジタル一眼レフを提げている。
 カメラ女子、というやつか。
「だめですか?」
 私自身、人様のペットを撮らせてもらうから、撮られることにはやぶさかではない。私は首を振って、「いいですよ」
 と答えた。
「ありがとうございます!」
 女性は笑顔を作って、カメラを構えてしゃがみこんだ。
 しかし、肝心のチビは甲羅の中にひっこんだまま、周囲を警戒してまだ出てこない。
「カメさん的には、NGですかね?」
「もう少し待ってれば出てくると思いますけど……」
「じゃあちょっと待ちます」
 女性は、カメラを膝の上に置いた。
 その動作で、動物の撮影にはあまり慣れていないだろうことがわかる。
 チビが顔を出してからカメラを構えていては、その動きでまた甲羅の中に戻ってしまうだろう。あるいはダッシュしはじめてカメラでは捉えられなくなる。
「あの、おせっかいかもしれないのですが……」
 私は言った。「今のうちに構図を決めておいて、置きピンにして待ってた方がいいですよ」
「えっ?」
「また、あんまり動くと引っ込んじゃうかも」
「ああ……なるほど」
 女性は2度ほど頷くと、チビの前方にハンドタオルを敷き、そこにカメラを置いた。ライブビューに切り替えてレンズをくりくりと回す。私は邪魔にならないように、チビから離れて女性と同じ側に移動した。
 そのまま、息をひそめて待つこと2分ほど。
 チビはそろり、そろりと足を出し、四肢を地面に付けるとにゅっと首を伸ばした。
 ぱしゃぱしゃぱしゃ。
 女性はシャッターを切り、そして「ほぅ」と小さく息を吐いた。
 その動きで、またチビはびくっとするが、今度は首を軽く引くだけで籠城はしない。
 女性が、画像の確認をする。
「撮れましたか?」
 と、私は訊いた。
「はい、なんとか」
 女性は、1枚の写真を選んで私に見せてくれた。「ありがとうございます」
「もう、大丈夫です?」
「はい……あの、できれば、さっきみたいに野草を食べているところも、撮りたいんですが」
「ああ。それは、カメ次第だと思いますが」
「難しいですか?」
「ん〜、時間があるなら、少しここにいて、カメがあなたの存在に慣れてくれれば大丈夫だと思います」
「……じゃあ、ご迷惑でなければ」
 若い女性が「一緒にいる」というのを迷惑だと思うヘテロの男性はいない。私はもちろん、「もちろん」と返事をした。
 チビは、彼女のことをじっと見ていたが、やがてそろそろと動き出した。
「写真、撮られるんですか?」
 その姿を追いながら、女性が言った。
「え?」
「いや、さっきのアドバイスとか……」
「ああ……少し、かじってる程度ですよ」
「そうですか」
「あなたは?」
「私は、大学で写真やってるんです」
「写真……学科?」
「ああ、いや、そんな大層なものではなくて。サークルですサークル」
「ああ、なるほど」
 聞けば、彼女は東京の大学の2年生で、今は春休みで帰省しているのだという。新学期がはじまったら、就活で忙しくなる前に同期と団体展を開く予定で、そこで展示する作品を集めているのだそうだ。
 うまくすれば、チビは東京デビューということになる。
 もっと嘴を、綺麗にカットしておけばよかったかもしれないと私は思った。
「でも、カメの散歩なんて初めて見ました」
 女性は言った。
「けっこう、させてる人いると思いますよ。テレビにたまに出ることあるし……」
「あー、見たことあるかも。なんかでっかいカメが月島だかを歩いてました」
「でしょ」
「いいですねぇ、カメ」
「興味ありますか?」
「なんか、癒し系ですよね。ちょっと飼ってみたいかも……」
「大変ですけど、楽しいですよ」
 私は言った。
「あっ!」
 不意に、彼女が声をあげた。
 見ると、チビがまた、タンポポの花に食いついている。
 チャンスである。
 彼女はチビを驚かさないように静かに歩み寄り、カメラを構えた。チビは一度動きを止め、女性の方を確認したが、またすぐにタンポポをかじりだした。ヨツユビリクガメはどうもタンポポが好きらしいのだ。
 ぱしゃ。ぱしゃぱしゃ。
 タイミングを見計らって女性がシャッターを切る。
 今にも食いつかんとす、という口を大きく開けた姿。
 食いついて、目をぎゅっとつぶった姿。
 口のまわりについた花びらを、前足でごしごしとこする姿。
 様々な写真が、カメラの中に収められた。
「よし」
 と女性が言った。「カンペキです」
「よかった」
 と私は言った。
「長々と付き合ってもらってありがとうございました」
「いやいや」
 女性が、リュックサックをごそごそとあさって名刺入れを取り出す。
「どの作品を使うかはあらためて検討になるのでアレなんですが、いちおう、団体展、詳細決まったら伝えさせていただきますね。これ、私の名刺です」
「あ、どうも……」
 大学名の入った名刺を受けとる。しかし私は名刺を持っていない。休日だし、そもそも作っていない。
「あ……じゃあ」
 そう言って彼女はスマホを取り出した。「LINE、使ってますか?」
「アカウントは持ってます」
「じゃあ、ふるふるしましょう」
 世の中は便利になったものである。連絡先を交換するのに、紙と鉛筆はもう要らない。
「では、決まったら、LINEで伝えさせていただきます」
「わかりました。頑張ってください」
「もしご都合が付くようだったら、ぜひ来てくださいね」
「行かせていただきます」
「あと、カメの話も聞かせてください」
「もちろん」
「では、ありがとうございました」
 女性は、深くお辞儀をして、踵を返すと、次なる被写体を探して歩いて行った。
 私は、しばらく彼女の後ろ姿を見送った後、チビの傍らにしゃがみこんだ。
 手のひらに、「出会いのタネ」を握りしめて。
「なあ、おい、これは……事件だぞ」
 チビは、我関せずという感じで、風の匂いを嗅いでいた。

 ……という妄想をしていたら1日が終わっていた。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

 - 爬虫類コラム