書店で出会い損ねた話

      2016/03/18

 その女の子は、辻村深月の本を2冊、手に持っていた。
 2冊の本を手に持ったまま、さらに本棚を物色していた。
 私はその姿を一目見て、「あ、この人はきっと本が好きだ」と判断した。
 華の金曜日、とある書店でのことである。
 私は休みのたびに書店に行くし、書店で買い物をする人たちの姿をよく観察しているからよくわかる。たいていの人たちは、読みたい本をひとつ見つけたら、そのままレジに直行するものだ。「次に読む本」のことまで考えて本棚を見てまわる人は、本好きである可能性が高い。
 これは、チャンスだ、と私は思った。
 本が好き、しかも、辻村深月が好き、ということであれば、話が合う可能性が高い、と推測されたからだ。
 話しかけてみる価値はある、と私は考えた。
 そこで、自分で読む本を探しつつ、彼女の動向にも気を配ってみることにした。
 タイミングを、見極めるためである。
 私が彼女の姿を認識したとき、彼女はまだ、講談社文庫の棚の前に立っていた。そこで、辻村深月以外の作家の本を眺めていた。
 そこから、角川、新潮、文春と棚を移動していき、文庫の棚をひと通り見て回ると、文庫の新刊が並んでいる棚に移動し、いくつかの作家の作品を、ためつすがめつした。
 私は、低くて向こう側が見える棚のところでは向かい側の棚の本を見(るふりをし)たり、高い棚のところでは反対側の端の本を見(るふりをし)たりしながら、彼女の姿を追っていた。
 文庫を新刊まで見てしまうと、女の子はハードカバーのコーナーへ移動した。
 文芸書だけかと思いきや、ビジネス書までも物色している。
 ジャンルを選んでいない。
 まさしく、コレキタマキ、だった。
 ジャンルを選ばない選書は、活字中毒の証拠である。
 すらっと細くスタイルが良くて、手入れの行き届いたさらさらストレートヘアで、卵に目鼻の愛らしい顔立ちをしていて、春物のワンピースをふわりと着こなした、道を歩いていたら10人中8人の男は振り返るであろう美女が、活字中毒。
 カミサマ、私もそろそろ、幸せになれってことですかい?
 彼女が、硬い本の並ぶ選書コーナーに足を踏み入れたところで、私は決意を固めた。
 声をかけてみよう。
 「本、好きなんですか」でも、「辻村深月、いいですよね」でもなんでもいい。とにかく、とっかかりを掴むのだ。
 さあ。
 しかし、意を決して踏み出された一歩は、二歩目につながることはなかった。
 私のiPhoneが、ポケットの中で激しく震えだしたからだ。
 振動パターンは、電話の着信であることを主張していた。
 奥まった店内なのに。
 突然向上したソフトバンクの回線品質をこのときばかりは恨みつつ、私は一度、階段部分の邪魔にならないところへ移動し、電話に出た。
「あ、すみません。〇〇ですけど、ご注文いただいた商品について確認が……」
 通販の会社だった。
 手帳を取り出して、注文段階では確定できなかった配送日の打ち合わせなどをしていたら、5分ほど時間が過ぎてしまった。
 会計を終えて、店を後にするには十分過ぎる時間だ。
 私は、慌ててフロアに戻った。
 果たして、女の子は、ちょうど会計を終えてレジを離れるところだった。
 私は足早に接近するも、追いつかず店外に出てしまう。
 できれば、追いかけたいところだ。
 問題は、私が未精算の本を持っていることだった。
 会計を済ませなければ万引きになってしまうし、棚に戻しに行くにも時間が足りない。
 しかたなく、私は「ポイントカードはお持ちですか?」の質問に「ポい……」くらいのところでカードをつきつけるくらいの食い気味な会計手続きを敢行し、逃走犯を追う刑事のような勢いで店外に飛び出した。
 しかし、時すでに遅し。
 彼女は、雑踏の中に姿を消してしまっていた。
 ロスト。
 私は天を仰いだ。
 あの、電話さえかかってこなかったら。
 間の悪い配送係への恨みが、胸の中にこみ上げる。
 しかし、本当は気づいているのだった。
 電話なんて、出なければよかったのだ。
 出たとしても、「出先なので」とすぐ切ればよかったのだ。
 本当に、彼女に声をかけるつもりだったのならば。
 私は、意を決したつもりで、ほんとうはビビっていたのだった。
 だから、着信を口実にして逃げたのだ。
 言い訳を確保して、自分のチキンさをごまかそうとしたのだ。
 配送係は悪くない。彼は、自分の仕事をしただけだ。
 ソフトバンクだって悪くない。彼らも、自分の仕事をしただけだ。
 悪いのは、この私である。
 私のヤワな根性である。
 まったく、こんなだから、「うちの会社の子、紹介しようか?」って母親にさえ言われるようになるんだよ。
 度胸を身につけなければならないのは、外科に限った話ではない。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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