大切なものは、いつもすぐそばにある。

      2016/05/08

 『4月は君の嘘』という漫画がある。作者は新川直司。週刊少年マガジン(講談社)に、2011年5月から2015年3月まで連載されていた。
 主人公の有馬公生は、天才的なピアニストの素質を持った中学生である。小学生の頃には数々のジュニアコンクールを総なめにし、神童の名をほしいままにしていた。しかし、母親の死がトラウマとなって演奏ができなくなり、ピアノからは距離を置いて暮らしている。幼なじみの澤部椿は、公生にもう一度ピアノを弾いて欲しいと願い、彼を励まし、叱咤するが、彼の心を動かすには至っていない。
 そんな彼らの前に現れるのが、破天荒なバイオリニスト、宮園かをりである。椿のクラスメートである彼女は、公生と椿の共通の友人である渡亮太を紹介して欲しいと椿に持ちかける。椿は、気まずくなったときに音楽の話ができる人がいると助かるから、と公生を誘い、ダブルデートの場で、公生とかをりは顔を合わせることになる。
 実はそのデートは、かをりの、そして椿の策略でもあった。その日は、かをりのエントリーしているバイオリンコンクールが行われる日であったのだ。これからかをりの演奏を聴きに行こう、という椿。音楽と距離を置いてた公生は「僕はいい」と遠慮するが、「行こう」とかをりに手を引かれ、コンクール会場に足を踏み入れる。
 かをりの演奏は、「楽譜通りに弾く」というコンクールの大前提を無視する、個性的なものだった。しかし実力は確かで、観客はかをりの演奏にのめり込み、公生もまた、心を突き動かされる。そして公生は、かをりに恋をする。
 以後、かをりの演奏ばかりを頭の中でリフレインする公生の前にふたたび現れた彼女は、公生のトラウマを知った上で、二次審査で自分の伴奏をしろと彼に命じる。気後れする公生をときに蹴り飛ばし、力づくでステージの上に連れて行くかをり。しかし公生はトラウマを克服することはできず、途中で演奏をやめてしまう。これで終わり、と会場の誰もが思ったとき、かをりが公生に手を差し伸べ、声をかける。「アゲイン」。
 その言葉をきっかけに公生は力を取り戻し、かをりとともに素晴らしい演奏をする。もちろん、1度演奏を中断してしまっている以上、失格は確定している。けれど、その体験は、演奏者としての本能と、欲とを公生に思い出させる。
 そこから、さらに紆余曲折を経て、公生がふたたび音楽の、ピアノの道を歩んでいく、というのがストーリーの骨子だ。
 畑違いのバイオリンコンクールに観客として訪れた公生を見て、まるで芸能人でも目撃したかのように周囲がざわつくほど、クラシックの世界は狭い。それなのに、かをりほど演奏力のある奏者を公生が知らなかったことが、物語の序盤に大きな謎として残される。タイトルにある「嘘」の意味とともにその謎が明かされるとき、読者は切なさとないまぜになった感動に飲まれることになるのだが、作品を読み終えたとき、私が心を打たれた箇所は、もうひとつあった。
 音楽科のある高校への進学を決意する公生だったが、中学3年生になるまで表舞台から姿を消していた彼にとって、それは険しい道だった。残り僅かな時間の中で影響力の大きなコンクールに出場し、結果を残さなければいけない。あとのない公生が最後の賭けとして参加したコンクールの本選が、物語のクライマックスとなる。ここで結果を残せなければ国内に道はない。しかし公生は、そのステージを上で、ふたたびトラウマにとらわれてしまう。頭の中がまっしろになり、ついには手で顔を覆ったまま動かなくなってしまう公生。神童復活ならずかと会場に落胆の色が漂い始める頃、場内に、「ひっちょ」と奇妙なくしゃみの音が響く。場内に張り詰めた緊張を緩めたそのくしゃみは、応援に来ていた椿のものだった。姿は見えなくても、幼なじみの公生には、そのくしゃみが椿のものであることはすぐにわかる。椿が来ている。それに気づいた瞬間、公生の頭の中に、これまでの自分の歩みが蘇ってくる。たくさんの人に支えられて、自分はここまで来たこと。自分の「音」はその人たちとの関わりによって形作られたこと。自分は1人ではなかったこと。その人たちに応えるために、自分は弾くのだということ。そうして彼は、ほんとうの意味でトラウマを克服し、ヒューマン・メトロノームではない、誰の心をも揺さぶる天才として復活する。
 彼の復活の契機となったものが、彼が恋したかをりではなく、椿だったことに、私は胸を打たれた。
 彼が回復するためにほんとうに必要だったものは、「外からやってくるもの」ではなく、実は、はじめからすぐそばにあったということを、この挿話は意味しているからだ。
 公生とかをりの恋物語、かをりとの出会いによって変わっていく公生、という視点でまとめるならば不自然なタイミングで挟まれているこの挿話は、不自然であるがゆえに、公生にとっての椿という人物の重要性、かけがえのなさを強調する形になっている。この物語はハッピーエンドとは言いがたいが、切なさを感じても明るい気持ちで読み終えることができるのは、この挿話があるからだ。椿の「くしゃみ」があるから、この終わり方でも、「公生はもう大丈夫」と読者は信じることができる。
 それは、読者にとっても、きっと救いになるものだと私は思う。
 最後まで、公生を救う者がかをりだけであったとしたら、その物語が伝えるものは、「外部から訪れる“なにか”がなければ、世界は変わらない」という、ある場合には、実に過酷なものとなる。その“なにか”が訪れるような機会を持たない者にとっては、それはほとんど絶望せよと言っているのと同じだろう。けれど、最後に背中を押すのが椿であることで、そのメッセージは、「身の回りのもののかけがえのなさに気づければ、世界は変えられる」という、人の主体性を認めるものに変わっている。
 そのことが、私の胸を打ったのである。
 大事なものは、いつもすぐそばにある。
 『四月は君の嘘』は、そのことを教えてくれる、素晴らしい作品である。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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