とある架空の爬虫類店の話

      2016/03/23

 表通りから1本それた、奥まった場所にあるその店は、外観からして怪しげな雰囲気を放っていた。
 中の見えない曇った窓。その向こうにうっすらと認識できる、繁茂した観葉植物の巨大な葉。屋号は薄れて読み取れず、開いているのかどうかすら定かではない佇まい。というか廃墟だ。打ち捨てられて、植物に乗っ取られた密林の奥の掘っ立て小屋だ。
 お世辞にも、まともな商店だとは言い難い。ここで商売が行われているというのなら、売られているのは間違いなく、いかがわしいような、後ろ暗いような何かだ。
 僕は、左手に持った小銭入れをぎゅっと握りしめた。
 目の前の引き戸を開けて、中に入るのはためらわれる。しかし、その恐れを抑えつけて、足を踏み入れなくてはならない。写真でしか見たことのないあれが、確かにここにいると聞いたからだ。
 見せてやると、もう弟に宣言してしまった。
 引き返すわけにはいかない。
 後ろを振り返る。ここまで乗せてきてくれた父親の車が路肩にとまっている。頼めばついてきてくれるだろうが、「一人で行く」と言ってしまった手前頼みにくい。
 手を伸ばし、引き戸の取っ手を掴む。喉がゴクリと鳴る。覚悟を決め、僕は深く息を吐いて、引き戸を引いた。
 カランカランカラン。
 予想外の大きな音が鳴り、思わず身体を強ばらせる。振り返り、音の正体を探る。それが戸に付けられたカウベルであることを確認すると、店内に視線を戻す。
 店の中は、思ったよりも明るかった。入り口から奥に向って棚が並び、生き物の入った容器が並んでいる。その照明が明るいのだ。容器の中には、見たこともないヘビや、トカゲや、クモやサソリまでもが蠢いているのが見て取れた。通路の奥に、レジカウンターが設置されている。
 その、レジカウンターの向こうから、ひょい、と顔が飛び出した。髭面で、室内だというのにサングラスをかけた男の顔だ。男は私の姿を確認すると、「よっこらしょ」と立ち上がった。
 背が高く、太った男だった。
 顔が怖い。
「いらっしゃい」
 と、男は言った。
「こ、こんにちは」
 僕はなんとか答えたが、声の震えを隠すことができなかった。
 すると、男は破顔した。
「少年、そんなにビビることはない。確かに店は怪しいし、俺はコワモテだが、客を捕って食ったりすることはない。安心しろ」
 そんなこと言われたって安心できない。そんなのは人を食う奴の常套句だ。
 僕が黙っていると、男はレジカウンターの仕切りを開けてこちらへやってきた。つい身構えそうになるのをなんとか堪える。
「なにをお探しだい?」
 僕の前にたどり着くと、男は中腰になり、目線の高さを僕に合わせた。「ご覧の通り、けったいなやつらなら、いろいろいるが」
 そう言って目の前の棚を指差す。1mくらいの、緑色のトカゲが、木の枝の上で微睡んでいた。その下には、50cmくらいのカメが蠢いている。
 反対側には、長いヒゲを何本も蓄えた大きなナマズが泳ぐ水槽がある。僕の太ももくらいの太さの大蛇が、とぐろを巻いている。
「ま、こいつらは少年には無理だろうけどな。何を探してる?」
 男が、僕の顔を覗き込む。
「……ヒョウモントカゲモドキ」
 俯きながら、図鑑で覚えたその名前を僕は口にした。
「ほほう、ヒョウモンか」
 男はにやりと笑うと、腰を伸ばして自慢気に言った。「それなら、たくさんいるぞ」
 そして、棚と棚の間の、男の腹がぎりぎり通るような隙間を抜けて奥に入り、手招きをした。
「こっちだ」
 僕は男を凝視する。
「だから、捕って食ったりしないと言っただろうが」
 男は笑った。
 僕は手を握りしめて、その隙間を通り抜けた。足元に積まれている、何語かよくわからない本の束につまずきそうになりながら。
 通り抜けた先にも、たくさんの動物がいた。鮮やかな緑色のヘビ、カメレオン、毒々しい色のヤモリ……。
「ここだ」
 男が指さした先には、15cmほどの、ぷっくりとした尻尾をした猫目のトカゲが入ったプラケースが、いくつも積み上げられていた。「これが、ヒョウモントカゲモドキだ」
 僕は、プラケースを覗き込んだ。積み上げられたケースの中身を、順番に見ていく。
 トカゲたちの中には、いろいろな柄のものがいた。僕と弟が図鑑で見たのは名前の通りヒョウモン柄のものだったが、色が薄かったり、縞模様に近い柄のものもいた。
「いろいろいる」
 と僕は言った。
「突然変異だ。ぜんぶ同じ種類だよ」
 男が答えた。
「かっこいい」
 僕はつぶやいた。
 男が満足気にうなずく。
「ふふん。そうだろう? だが、少年のような初心者が最初に飼う動物としてはうってつけだ」
 僕がトカゲに見入っていると、男はひとつのプラケースをひょいと手にとり、中のトカゲを取り出した。
「触ってみるか?」
「いいんですか?」
 声が裏返った。
「ああ。手を出してみな」
 僕が両手を出すと、男はその上にトカゲを置いた。「尻尾は掴むなよ。切れるから」
「はい」
 トカゲは、僕の手のひらの上をのそのそと這いずった。親指を曲げて背中を撫でてみると、その皮膚はさらさらとして触り心地がよかった。
「ふくふくしている」
「そりゃ、丁寧に仕上げてるからな」
 男は言った。
「爬虫類、好きなんか?」
 男が訊いてきた。
「弟が」
 と僕は答えた。「弟が、好きなんです。でも、病気で今は外に出られないから、俺が代わりに」
「なるほど」
 男は鼻を鳴らした。
「でも」
 と僕は言った。「俺も、これ、好きです」
 男がふたたび、ニヤリと笑った。「いいねぇ」
 それからひとしきり、男は爬虫類の魅力について語った。熱を帯びた語り口や、熱帯での冒険談に、影響を受けやすい年頃でもあった僕はするすると惹きこまれていった。
 爬虫類について語る男の表情は、いかつい中年のはずなのに無垢な少年のようで、いつの間にか、男に対する恐怖心は消えていた。
 話に気を取られている隙に、手の上のトカゲが虚空へと足を踏み出す。男は慌ててそれを掴むと、静かにプラケースに戻した。
「ところで、少年」
 男が言った。「親御さんには、ちゃんと話をしてあるんだろうな?」
 僕は、男の方を見た。男は真面目な顔をしていた。
「こいつらは、10年くらい生きるぞ。それまで、継続的に金がかかる。お前まだ小学生だろ? 10年経っても、おそらくはまだ親御さんのお世話になってるはずだ。バイトで金を稼ぐにしても、親の理解と協力がなければ、子どもは動物を飼うべきじゃない。それは大丈夫か?」
「話は、してある」
 僕は答えた。「弟の代わりに、俺が面倒を見ると、約束した。今、外で待ってくれてる」
 話をした時、両親は、わりとすんなりと了承してくれた。小さな動物だし、教育的意味もあると判断したのかもしれない。交換条件は、夕食後の皿洗いだった。
「それなら、いい」
 男はうなずいた。「親を説得する能力すらなければ、動物は飼えないからな」
 そして、僕が握りしめた小銭入れを指差すと、
「お金は、いくら持っている?」
 と尋ねた。「値段にも幅があるからな。それによって、いいやつを選んでやる」
「3万円」
 と僕は言った。弟と僕のお年玉を合わせた額だ。
「3万円か」
 男は右手で自分の顎髭を撫でた。「じゃあ、このあたりだよな」
 そう言って、もう片方の手でプラケースの列をなぞっていく。
「だったら……こいつはどうだ?」
 男が選んだのは、少し、色の薄いタイプのものだった。
 それはそれで、上品な色合いだと思った。しかし、僕は首を振った。
「だめか?」
「だめじゃない。でも、弟は、ヒョウ柄のやつしか知らないんだ。それだと、他のトカゲだと思われる」
「なるほど。じゃあ、純粋にノーマルのやつにしよう」
 男は、別のプラケースを開け、トカゲを取り出した。
「こいつならいいか? ヒョウ柄だし、よく太っていて、元気だ」
 僕はトカゲを観察した。男の言うとおり、野性的で、健康的な個体だった。僕は頷いた。
「それにする」
「よし」
 トカゲの値段は、9000円だった。ちなみにさっきのは1万2千円。予算の3万円からすると安い額だが、「ケージとか、ヒーターとか、まだ買ってもらうものがあるからな」と男は言った。
 最終的に、飼育用品と、エサ用のコオロギを含めて2万円の買い物を、僕はした。それと、ヒョウモントカゲモドキの飼い方の書かれた本をもらった。「これはサービス」と男は言った。
「ありがとう」
「なるべく、大事に飼って欲しいからな」
 僕は頷いた。
 それでもひとしきり、帰る前に男は詳細なレクチャーをしてくれた。エサやりで気をつけること、温度管理で気をつけること。説明しながら、チラシの裏にメモを書き、僕に寄越した。
「とりあえずは、これだけわかれば大丈夫だ」
 男は言った。「他に、わからないことがあったらいつでも聞きに来いよ」
「うん」
 僕は頷いた。
「何もなくても、遊びに来ていいからな」
「そうする」
 男は笑った。
「じゃあ」
「おう。弟さんによろしくな」
 男は片手を挙げた。
 僕は最後に会釈をして、店を出た。
 それ以来、僕はその店に、頻繁に通うようになった。トカゲのエサを買いに行かなければならなかったし、そうでなくても、珍しい動物を見るために、動物園に行くような感覚で通っていた。弟の病気がよくなってからは、弟も連れて行った。もともと爬虫類の好きだった弟は、僕以上に、その怪しげな雰囲気にハマっていた。店主の男は、とっておきの動物が入るとすぐさま自慢気に披露してくれた。動物園でも見られない動物が、自転車で15分の場所にいるということに、毎度驚くばかりだった。
 店にはときどき、同様に怪しげな人々が集まっていた。袖のない革ジャンにモヒカンのおじさんとか、色白で、髪の毛が長くて、途切れることなくぼそぼそ独り言を言ってるようなお兄さんとか。世の中にはいろいろな人がいるものだと、僕と弟は頷きあったものだった。人見知りするタイプである僕は遠巻きに見ているだけだったが、誰とでもすぐ打ち解ける弟は、そんな彼らとも仲良しになっていた。
 高校生の時には、夏休みにアルバイトをしたりもした。いざ働いてみるとなかなかにキツい仕事だったが、それでも楽しかった。スーパードライとメビウスの味を密かに覚えたのもその頃だ。
 東京の大学に合格し、街を離れるまで、僕はまるでもうひとつの家であるかのように、その店に入り浸っていた。
 いかにも怪しげなその場所に、友人たちは誰も近づかないようなその場所に、自分はメンバーとして出入りしている。そのことに、優越感にも近い気持ちを抱きながら。
 今、その店はもう存在していない。
 社会人になってから、5年ぶりに出向いたときには、もうその店があったテナントは、ファミリーマートになっていた。
 繁殖させた動物の話を手土産に、ウキウキして店を訪れた僕は、呆然として、明るく、健全になったその空間を眺めていた。
 ぽっかり、胸に穴が開いたような気分だった。
 店主の男が、どこで何をしているのかも、今はわからない。
 店に行けばいつでもいたから、連絡先は、聞かなかったのだ。
 青春の一部分を、確かに捧げた場所だったから、その時感じた喪失感は、ひとしおだった。
 ファミリーマートがなくなり、とうとうコインパーキングになってしまった今でも、寂しさは変わらない。
 子どもの頃に比べて、街中で爬虫類の姿を見かけることは多くなった。ホームセンターのペットコーナーにさえ、かつては珍しかった動物が普通に並んでいたりする。ペットショップもずいぶんとオシャレになった。爬虫類を取り巻く環境は、あの頃よりもずっとよくなっているだろう。
 けれど、社会からちょっとはみ出したような大人たちが、隠れるように集まって、異形の者達の話に花を咲かせていた、一見すると廃墟のような、街のエアポケットのようなあの場所が、僕は時々、恋しくてたまらなくなる。
 我々の趣味には、あのくらいの仄暗さがちょうど良かったと、今でも僕は、強く思っているのだ。
 叶うなら、もう一度あの店で、タバコを吸いたいと思う。
 男の行方を、僕は知りたい。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

 - 創作