最後のひとり。case6――カモハクチョウ

      2016/05/05

 日本からもうゼツメツしてしまった種類は数あるけれど、最後のひとりになってしまったときにそうだと認識された個体は果たしてどれだけいただろうか。まして、それが何という個体で、いつ生まれた何歳で、ということが一般の来園者にも知られるようになったのは最近のことかもしれない。

 動物園の動物にはほとんどの場合名前がある。あまりそのこと自体は不思議に思わないかもしれない。「リタ」、「インディラ」、「康康」や「蘭蘭」、それに「風太」や「シャバーニ」。むかしも今も動物には名前が付けられていた。しかし以前であれば、それは大スターや大型動物などのもので、小動物やマイナーな動物にはほとんど名前が付けられていなかったと思う。実際、動物園の資料などを調べたりすると、個体識別がしやすいテナガザルや人気のシマウマなんかでも名前が付けられていなかったりした例がつい最近まである。ちゃんと個体識別されて管理されていたかどうかすら怪しい部分がある。
 大スター以外には名前を付けなかった理由はいくつか考えられる。例えば、旧来の動物園は「死」を隠したがる傾向にあった。仮に天寿を全うした死亡であってもどこか後ろめたさを感じていただろうし、万が一飼育管理上の落ち度があった場合は市民からの非難を受ける恐れもあっただろう。昨日までいた「○○ちゃん」の姿が見えないとなれば、来園者の心配を招く。何となく、動物園では「死」はタブーとされてきたため、名前を表に出したくなかったのだろう。さらに、名前は動物業者を介する売買にも差し支える。動物園が個体のやり取りを業者と直接おこなっていた時代、個体が識別されれば動物園間で売値と買値が分かってしまうため、業者は個体情報を“リセット”させていたと聞く。動物園にとっても、「○○ちゃん」が他所の動物園にいると知られたら、売りに出したことがばれてしまう。そのあたりも動物に名前を付けてこなかった理由だろう。
 ところが最近では、動物園の動物はほとんどの場合「個体」として管理され、名前がある。一つの理由は、動物の管理体制の変化が挙げられる。好き勝手に野生から動物を入れられなくなった現在、飼育下個体群の維持や繁殖計画のために個体の来歴情報が重要であることに動物園が気づいてきたのだと考えられる。「出したら終わり」ではなく、動物園同士が協力して個体を管理し、全体で責任をもつようになってきている。さらに、来園者に対しては、その個体名などの情報も付加して展示している。管理体制や動物飼育に対する考え方の変化だけでなく、見る側の変化もあると考える。つまり、動物園に、「アジアゾウ」を見に行くのではなく、「ゾウのはな子」に会いに行く、というような変化だ。そうなることで、来園者は単なるゲストではなく、飼育されている動物への親近感や愛情が湧いてくる。また会いに来ようと思う。そのような理由で、来園者である市民の側が、動物園における動物の個体名の扱い方を変化させてきたといえるかもしれない。

カモハクチョウ

case6:カモハクチョウ

 今回紹介する「最後のひとり」は、非常にマニアックな種類でありながら、名前をもらっていた個体だ。

 カモハクチョウという鳥がいる。「カモなの?ハクチョウなの?」と思われるかもしれない。真っ白な体で大きさはハクチョウのなかまよりすこし小柄な程度だが、嘴や足はカモのなかまにありそうな鮮やかな赤色をしていて、確かにどちらにも見える。実は、カモとハクチョウには明確な線引きはない。カモ目カモ科に分類される約180種の鳥のうち、最も大型のグループを「ハクチョウ」、中型のものを「ガン」、それ以外の小型のものを「カモ」などと何となく呼んでいるに過ぎない。体の大きさによる呼び名の違いだけで、生物学的な明確な区分があるわけではない。ついでにいうと、最も小型のグループのなかには「マメガン」なんてのもいてややこしい。こういう、線引きの不明瞭な名称の問題は、クジラとイルカ、カンガルーとワラビー、フクロウとミミズクなど挙げればきりがない。そんなわけで、カモハクチョウはカモハクチョウ、まあカモ目のなかではどちらかというと大きいほうの部類にいる鳥だ、と思っていただければじゅうぶんだ。
 そのカモハクチョウの日本で最後の個体は、福岡県の大牟田市動物園で飼育されていたメスの個体で名前は「マリリン」という。閉園した宝塚動植物園で飼育されたのち、2003年4月に大牟田に来園したらしい。そして、2014年6月26日に死亡した。そういった経緯が、園のWEBサイトやFacebookページなどに事細かに記載され、リアルタイムで公開されている。

2010年10月、わたしが最後に会ったマリリン。

2010年8月、最後に会ったマリリン。

 年輩の人からは、よく、「カモハクチョウなんて昔はどこにでもいたのに」という声を聞く。国内初繁殖の記録も1976年の京都市動物園にあり、歴史も古い。カモハクチョウはコブハクチョウやコクチョウなどの現在でもメジャーなハクチョウの種類とならんでよく飼育されていたらしい。ただし、こういった種類は、来園者が自由に入れるウォークイン式の水鳥のバードケージや、園内の池などで放し飼いにされることが多い。聞くに、カモハクチョウの多くはなかなか攻撃的な性格だったようで、よく来園者や飼育担当者に向かっていくこともあったらしい。同居する他種の鳥とのトラブルもあったかもしれない。そのあたりが、カモハクチョウが敬遠され飼育されなくなっていった理由のようだ。
 わたしがマリリンに会ったのは、2009年8月と翌2010年の8月の2回だけだった。大牟田に来園直後の2003年5月にも訪問した記録があるが、検疫期間中で表に出ていなかったのか、そんな存在と知らず気にも留めなかったのか、記憶にも写真にも残っていない。2009年と10年の当時、マリリンはウォークイン式のバードケージで暮らしていたが、聞き及ぶカモハクチョウの性格と異なり、非常に穏やかに暮らしていたのを覚えている。来園者の通路に出てきて人が近づいても特に気にせず優雅に歩いていた。マリリンの名前の由来を知らないが、どことなく気品や美しさを感じさせる振る舞いで、語感がピッタリの名前だと感じた。もう日本で見られないというのは非常に寂しい。

バードケージ内の来園者通路にふつうに出てくるなどして、穏やかな性格だった、と思う、たぶん。

バードケージ内の来園者通路にふつうに出てくるなどして、穏やかな性格だった、と思う、たぶん。

 マリリンをみて感じたこと。冒頭に述べたような背景もあってのことと思われるが、マニアックなカモハクチョウにも「マリリン」という名前が付けられるし、動物園はそれを発信するようになった。特に大牟田のような、大規模でない地方都市の公立動物園で飼育個体数もさほど多くない園では、一個体一個体の情報をとりわけ大切に扱って発信する熱意がみてとれる。市民もそれを見て、どういう個体か分かるし、最後のひとりであることを知ることになる。一昔前だったらカモハクチョウのような十把一絡げの鳥には名前は付けられなかっただろうし、よしんば名付けられていたとしてもわざわざ市民や来園者に紹介することもなかっただろう。
 「マリリン」の一例を眺めつつ、わずかだが恐らく良い方向に向かっていると思われる、動物園界の変化を感じた。

綿貫宏史朗
1986年熊本県生まれ。東京農工大学獣医学科を卒業後、京都大学霊長類研究所に勤務。現在、同研究所の研究員および公益財団法人日本モンキーセンターにて学術部所属キュレーター(兼任)を務める。学生時代より動物園マニアとして活動を展開し、国内外の約200ヶ所の動物園・水族館を訪問。2009年よりNPO法人市民ZOOネットワークの理事も務める。

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