掛け布団は大切。
月曜日の夜、まだらが、掛け布団の上でおしっこをした。
厳密に言うと、仕事から帰ってきたら布団カバーに染みがついているのに気づいただけなので、犯人の特定はできないのだけれど、たぶんまだらで間違いなかった。他の多くのことと同じようにトイレに関しても、神経質なのはまだらの方で、だからトラブルを起こすのもまだらの方なのだ。京子は万事おおらかである(馬鹿ともいう)。
その日、私はうっかり、システムトイレのペットシーツを換え忘れていた。たぶん、トイレから臭いがするのが嫌で、布団にしてしまったんだと思う。
非は私の方にある。
ともあれ、結果としてまだらは掛け布団の上でおしっこをした。
表面に撥水加工を施してある布団カバーをかけていたのだけれど、時間が経てばやはり染みこんでしまうようで、おしっこはカバーを通りぬけ、掛け布団そのものも濡らしていた。排尿する前に掘り返したらしく、一部布団がめくれていて、毛布にも被害が出ていた。マットレスが無事だったのは幸いだった。
おしっこの量は多く、とても濡らして叩いて、といった程度ではとれそうになかったので、しかたなく私は、毛布も布団カバーも洗ってしまうことにした。どちらも洗濯機で洗えるものなので、両方とも放り込み、洗濯機を回した。
掛け布団はさすがに洗濯機では洗えない。なのでお風呂場に運んで、おしっこの染み込んでいる部分に洗剤を溶かしたお湯をまわしかけ、足で踏んで洗った。シャワーをかけながら踏んで踏んで踏みまくっておしっこを抜く。
洗い終わったら、それらを庭に運んで干した。もう夜だったがしかたがなかった。濡れたまま朝まで放っておくわけにはいかない。まあ、このまま昼ごろまでかけておけば乾くだろう、と判断し、風で飛ばないように固定だけして庭に放置した。
すべてを終えて、ふうと息をつく。
残された問題は、寝るときにどうするか、だった。
私は、布団を一組しか持っていない。毛布も洗ってしまった。だから、その夜、かぶるものがなかった。なにもかぶらずただマットレスの上に横になって寝るしかなかった。なんとも落ち着かない状況だ。
でも、まあ、大丈夫だろうとは思った。私は基本的には、寝付きがいい方なのだ。のび太とまではいかないが、横になったらけっこう早く眠ることができる。そして眠りもそこそこ深い。新幹線で寝過ごして慌てるくらい深い。
だから、掛け布団がなくたって、まあ眠れるだろうと判断した。多少眠りが浅くなったとしても、どうせ一晩なのだから問題ないと思った。翌日は昭和の日なわけだし。そもそも、休みの日はいつもなにもかぶらずにうたた寝を繰り返しているのだ。一体何の不都合があるというのだろう。
掛け布団なんて、なくても余裕でしょ。
私は、寝間着に着替えてベッドに横たわり、目を閉じた。
ところが、である。
予想に反して、その夜、私はまったく寝付くことができなかった。
なんというか、横になったというのに、まったくリラックスできなかったのである。
ちっとも睡魔が襲ってこないし、それどころか、「体を休ませている」という感覚すら得られない。なんというか、立ったまま横になっているというか、横になったまま立っているというか、とにかく落ち着かない感じなのだ。
これはいったいどうしたことか、と私は思った。
いつもは、これでうたた寝をしているのに、眠れないとはどういうことだ。
状況を受け入れられない私は、目をつむり、体の力を抜き、深呼吸をし、とにかく「眠ろう、眠ろう」と努めた。意識的にリラックスした状態に持っていけば、必ず眠れるはずだと。
しかし、2時になり、3時になっても、眠気は襲ってこなかった。
足元では、猫たちがぐうぐう眠っている。その姿を見ても、まったく眠気が誘発されなかった。
時計の針が4時をまわったところで、私は観念した。
だめだ、このままでは眠れない。
やっぱり、掛け布団がないとだめなのか……?
しかたなく私は、クローゼットを開け、掛け布団の代わりになるものがないかと探した。しかしもちろん、たいしたものは見つからない。苦肉の策として、学生時代に使っていたコートを引っ張り出してきて、それをかぶって横になってみることにした。
すると、なんということだろうか。
コートをかぶったとたん、それまでの緊張が嘘のように体の力が抜け、眠気が訪れたのである。
それから8時まで、私はこんこんと眠った。
そして、すっきりと目覚めることができた。
ベッドの上に起き上がった私は、驚愕の眼差しで、コートを見つめていた。
確かに、掛け布団は大事だと、聞いたことはある。しかし、まさかこれほどまでとは。
薄っぺらいコート1枚でも、あるとないとではまったく違うものなのだ。
まあ、考えてみれば当然のことではあった。
古今東西、布団をかぶって眠らない民族はいない。
どんな民族も掛け布団を持っている。
と、いうことは、それは、人類がほとんどその起源から必要としていたアイテムだ、ということである。
それだけの歴史のあるものが、要らないわけがないのだった。
掛け布団は、人の眠りに、不可欠なものなのだ。
カーテンを開け、庭に干したままの掛け布団を見た私は、そのまま深々と頭を下げた。
ごめん。君の価値を見誤っていたよ。
いつもそばにいることが当たり前すぎて、その大切さを、かけがえのなさを見失っていたよ。
君は、僕にとって必要な存在だったんだね。
なくても余裕とか思って、ほんとうにすまない。
心からそう謝罪した。
幸いなことに、昭和の日は快晴だった。温かな春の日差しを浴び、午前中にはすっかり布団は乾いてくれた。
太陽の匂いの染みこんだ布団を、私は慈しむように部屋にいれ、ベッドに寝かせた。
その上に横たわり、深呼吸をする。幸せな匂いが胸に満ちる。
それを味わいながら、これからは、もっと大切にしようと、私は心に誓ったのだった。