ニシアフはかわいいと信じたい。

   

 ニシアフリカトカゲモドキは、とてもかわいらしい生き物である。
 あのまんまるな黒目、ふくふくとした尻尾。短い手足に、赤ちゃんみたいな手のひら。
 これをかわいいと言わずして、いったいなにをかわいいと言うのか、というくらい、完璧な造形をしている。

ひいらぎ

こんなにかわいい生き物がいるだろうか。

 ただの贔屓目や思い込みではないのか、と思われるかもしれないがそんなことはない。
 写真や実物を見た人が、ほとんど全員、揃って、「かわいい!」と声に出してくれるのがその証拠だ。
 ニシアフを見て、「気持ち悪い」とか、「トカゲじゃん」とか、冷たい反応を返す人は、滅多にいない。
 前の職場の人たちも、今の職場の人たちも、中学時代の同級生も、大学の同期や先輩たちも、待ち受けに設定されているひいらぎの写真を見て、「あ、かわいい」と言ってくれた。
 うちに遊びに来て、当時うちにいたヒョウモントカゲモドキを連れて帰った知り合いは、私が転職し、引っ越すとき、「動物全部連れて行くの大変でしょ、ニシアフだったら、もらってあげるよ」とさえ言っていた。
 反応は上々なのだ。
 もちろん、みんな、オタクな業界の住人ではない人たちである(獣医をオタクな業界から除外すべきかどうかについては、諸説あるが)。
 全員女性であることが、客観性の視点から見ていいことなのか悪いことなのかは判断に迷うところだが、それでも、「ニシアフがかわいい」という感覚は、決して爬虫類好きの贔屓目に過ぎないとは言えないのだ。
 ニシアフは、アイドル足りうる資質を備えている。
 これまでの周囲のリアクションから、私はそのことに確信を抱いていた。
 ニシアフの写真に、「かわいい」とコメントをつけて投稿することは、どうみてもブサイクな動物を同じ言葉で表現する親バカツイートとは、一線を画するものなのだ!
 ところが、今、その確信が揺らいでいる。
 とある一言が、私の心を打ち砕いたからである。
 こんな言葉だ。
「たとえば、初対面の相手から“これうちの子、かわいいでしょ”って写真見せられたら、本心でどう思ってても、とりあえず“かわいいですね”って返すだろ?」
 知人の放ったその言葉に、私の心は凍りついた。
 言われてみれば、まさにその通りなのだった。
「よっぽど仲がいいか、逆によっぽど嫌いじゃなかったら、え、ブサイクじゃね? とか、思ってても言えないよね」
 と、彼は言った。
 重ね重ね正論だった。
 忘れていた。人は、お世辞を言う生き物なのだ。
 口で「かわいい」と言ったからといって、本当にそう思っているとは限らないのだ。
 むしろ、反対の感想を持っていることを隠すために、大袈裟にかわいいということだってあるだろう。
 もちろん、本当に心から「かわいい」と言う人もいてくれるのはわかるのだが、みんながみんなそうとは言えないのだ。
 とすれば、周囲の人のリアクションをもとに積み上げられた確信は、一気にその土台を失うことになる。
 盤石だと思っていたその確信に寄りかかっていた私は、知人の指摘によって、激しく動揺せざるを得なかった。
 やっぱり、贔屓目なのだろうか。
 一般の人は、かわいいとは思わないのだろうか。
 私の行為は、ひょっとして迷惑だったのだろうか。
 そんな思いが渦巻いて、私の「確信は、傾き、ぎしぎしときしんだ。
 今、私は、「かつて確信だったもの」を、必死の思いで支えている状態である。
 なんとかもう一度、立て直したいと踏ん張っている。
 しかし、一度傾いたものは、なかなか真っ直ぐには戻せない。むしろ傾きは、時を追うごとに大きくなっているように思われる。
 率直に言って、途方に暮れている。
 勇気づけられる言葉が欲しいような心境である。
 誰か。お願いだ。
 崩れそうなそれを背中で支えながら、私はつぶやく。
 誰か、もう一度、私に信じさせてくれ。
 ニシアフは、アイドルだと。
 そう信じられるような言葉を、私に投げかけてくれ。
 そうだな、たとえば、「あたなが好きなものなら、どんなものだって私は大好きだよ」とか、そういうのだったら最高だ。
 それはニシアフとは関係がない?
 まさか。
 そんなはずはない。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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