海の声。

   

 子どもの頃は、いつも海が身近にあった。
 私の実家は千葉県の沿岸部にあって、といっても九十九里とか鴨川とか、そういう立派な海辺ではなくて、東京湾の、それも港湾部なのだけれど、それでも、窓を開けたらそこから海が見える、という生活を何年もしていた。TOKIOが開拓する前の東京湾でも生き物はそれなりに豊富で、砂浜には天然のアサリがいたし、テトラポットの隙間にはカニやらなんやらがうようよと潜んでいた。子どもの私は、海に出かけてはそれらを捕まえて遊んでいた。町の中心に近く「山」や「森」が遠かったから、開発されていてもその海が、身の回りでもっとも自然を感じられる場所なのだった。
 毎年夏休みに預けられていた父方の実家は、下関市の彦島という小さな島にあって、だから夏休みは、いっそう海が身近になった。なにしろそこは、家で水着に着替えて、そのまま徒歩で海に出られるような場所だったのだ。夏休みの間は毎日のように海で泳いだ。ゴーグルをつけて潜ると、クサフグやらなんやら、いろいろな魚が目に飛び込んできた。おまけに磯遊びに通暁した祖父が海の楽しみ方をいろいろと教えてくれるものだから、海に惹かれるなという方が無理な相談なのだった。
 そんなふうに、海を身近に感じて育ったせいだろうか。成長した私は、定期的に海を見に出かけないとどうにも気分が落ち着かない、という体になった。なにもべったり海辺で暮らさなくてはいけないわけではないけれど、あまり海から離れていると、なんだか心がくさくさとしてくるのである。胸の内側が濁り、思考が後ろ向きになってしまう。
 だから、実家を出て海の見えない土地で暮らすようになった後でも、暇を見つけては海を見に出かけるのが習慣になっている。
 学生時代に伊豆のペンションに住み込んでアルバイトをしていたのも、旅行に行く先が離島ばかりなのもたぶん同じ理由だ。無意識に、海を見たいと思うのだ。
 今でもそれは変わらない。
 もっとも、海に出かけて、特に何をするわけでもない。
 ただ、眺めるだけである。
 泳ぎもしないし、波に乗りもしない。
 気が向けば潮だまりの生き物を眺めたり、浜辺で拾い物をしたりするけれど、基本的には、その辺に座って、何時間かぼーっとしている。
 それだけである。
 でも、それだけで、ずいぶん気持ちが楽になるのだ。
 晴れやかな気持ちで、また明日からを過ごすことができる。
 見方を変えれば、海を見るだけで元気になれる単純な人間、ということもできる。
 ともあれ、そんな私にとって、今の職場はなかなかよい環境であると言える。
 海こそ見えないものの、隅田川の河口近くにあって、海の気配を感じられる場所だからだ。
 社屋を出て、歩いて数分で隅田川に辿り着く。
 うっすらの潮の匂いも感じられ、風も気持ちいい場所である。
 だから私は、天気のいい日には必ず、その川辺まで出かけてお昼ごはんを食べる。
 昼休みいっぱい、ベンチに座って水面を眺めて過ごしている。
 そうすることで、また午後からも頑張ろう、という気持ちになるからである。
 海から離れることのできない私は、そうやって海を感じ、日々の活力を得るために、毎日そこへ出かけるのである。

 社内に居場所がないからではない。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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