紫陽花。
紫陽花を見に行こうと思った。
特になんの約束もなく、観たい映画も、行きたい展覧会もない週末で、でも、1日家に引きこもって過ごすにはもったいないほどの陽気で、どうしたものか、と考えた末、思い至ったのが紫陽花だった。
紫陽花といえば、鎌倉だ。
東京湾を半周。千葉から鎌倉までの道のりは、もう正午になろうかという時間から出かけるにはいささか長いように思われたが、どうせほかにやることもない。私はバッグにカメラを入れて、電車に乗った。
長い道のりではあるけれど、移動はそれほどつらくない。千葉と東京を結ぶ総武快速線と、東京と鎌倉を結ぶ横須賀線は、かなりの本数が直通運転になっているからだ。一度電車に乗ってしまえば、あとは本でも読んでいれば着く。
読みかけの文庫本のページを繰りながら1時間半ほど電車に揺られて、鎌倉に到着した。
改札を抜けようとして、慌てる。定期券で入場してしまったから、鎌倉までの運賃をチャージするのを忘れていた。ゲートの扉に阻まれてすごすごと引き返し、乗り越し精算の列に並ぶ。
そのとき、連絡口越しにふっと見た江ノ電のホームの様子に、私は度肝を抜かれた。
ホームには、東日本大震災が起きた日でもそこまでではなかった、というくらいに、人がすし詰めになっていたのだ。
朝の通勤時間帯の埼京線から、車両だけ取り去ったみたいなその光景を見て、紫陽花を見たい、という気持ちが、半分くらい萎えるのを私は感じた。
帰りたい、という気持ちが胸の内に湧き上がっていた。
それでも、せっかく鎌倉までやってきたのだ。このまま引き返したら、なんのための1時間半か、ということになってしまう。
私は気持ちを奮い立たせ、精算機にSuicaを突っ込んだ。
しかし。
そのとき、場内に響き渡ったアナウンスは、残り半分の意気を挫くのに十分過ぎるものだった。
「ただいま、江ノ電への乗車は、40分待ちとなっております。また、紫陽花ご鑑賞のお客様は、現地で整理券をお配りしており、現在3時間待ちとなっております」
3時間?
私は、ぽかんとして江ノ電の方を見た。
そのとき、時刻は1時半。
3時間も待ったら、もう夕方になってしまう。
私はほとんど発作的に、精算機の「とりけし」ボタンを押していた。
機械から吐き出されたSuicaを定期入れに戻し、今降りてきたばかりのホームにとって返す。
帰る。帰る。
頭の中で唱えながら早足で階段を上がり、ちょうどホームに入ってきた上り電車に乗った。
入れ違いに吐き出される、たくさんの人を横目に見ながら。
ガラガラになった車内ですかすかの座席に腰を下ろすと、電車はゆっくりと動き出した。
帰りの電車の中で、私は江ノ電のホームの様子を思い返していた。
あの人たちは、みんな長谷まで行くのだろうか。
すごいな、と思った。
何時間もかけて、紫陽花を見に行く、それだけの熱意が、あの、ホームにいた人たちにはあるのだ。
それは、私にはどうにも持ちようのない情熱だった。
少しの障害で、何事も諦めてしまう私には。
きっと、鎌倉の紫陽花を見るためには、それではいけないのだろう。
全国に名を轟かすようなものをその目に収めたければ、もっと、強靭な意志の力が必要なのだ。
なんだってそうだ。価値あるものを享受するためには、それ相応の努力が必要なのだ。
努力する気がないのに、価値だけを手に入れようと思う方が甘いのである。
自分の意思薄弱さに打ちひしがれながら、私は千葉まで帰ってきた。
駅から家までの帰り道、道端に、紫陽花が咲いていた。
葉も花も少ない、みすぼらしい紫陽花だ。
私は、しばらくその紫陽花を見つめ、それから写真を撮った。
今の私には、きっと、これくらいがお似合いだ、と思いながら。