ゴキブリ購入記

      2016/02/23

 私が、ゴキブリ購入にいたるまでの顛末を説明する。
 買ったのは、静岡県内の某ペットショップである。
 リクガメの餌を買いに行ったら、まあ、いたわけだな、やつらが。
 それで、なぜかわからないけれど、「これ買う」と思ってしまった。
 しかし、お買い上げに至るまでの道のりはなかなか険しかった。
 第一の問題点は、そいつらが飼育ケースごと鍵のかかったガラス温室に入れられており、しかもケースに値札が貼られていないことだった。
 隣にヤスデ2500円とか売ってるし、この並びは売り物だよなと思いながらも、ものがものだけにいまいち確信が持てない(タランチュラの餌かもしんない)。よく見るためには店員さんを呼んで温室を開けてもらわなくてはならないが、その結果、「これ、売り物じゃないんですけど」とか言われたらものがものだけに傷つきそうだった。私は店員さんに確認するかどうかで、15分ほど迷った。
 そして、意を決して立ち上がった(ゴキブリは床に近い段に置かれていた)のだが、その瞬間に第二の問題に思い当たった。
 誰を呼べばいい?
 そのペットショップは、専門店ではなく総合店だった。犬や猫も売っている。店員さんの中には、子犬や子猫と関わりたくて就職した人もいるだろう。というか、ホームセンターチェーンが母体である以上、犬猫側とゲテモノ側は、実は組織が違う可能性がある。別のお店でそういうことを言われたことがある。基本的な接客はもちろんしてくれるだろうが、犬猫側の人は、そんなものには関わりたくないと思っているかもしれない。声をかけたら、「なんだこのド変態は」と思われるかもしれない。できれば、ゲテモノ側の人を捕まえなくてはならない。しかし、ユニフォームが同じだから見分けがつかない。
 しかたがないので、私はしばらく、周辺のカメやらヘビやらを物色するふりをしながら(実際物色もしたが)、店員さんの動向を探っていた。犬猫の方ではなく、魚類や爬虫類のメンテナンスをしている人の特定を試みた。
 10分ほど経過して、ようやく動向が把握できたところで、私は店員さんに声をかけようと歩き出した。
 が、しかし。私ははたと歩みを止めた。
 いや、待てよ。ゲテモノ側の人だからって、みんながみんなゴキブリ平気なものなのか? 爬虫類は好きだけど虫はNGとかないか? 仕事だからやってくれるんだろうけど、嫌な顔されないか?
 しかも売り物かどうか定かじゃないんだぞ。
 とはいえ、それでは話が前に進まない。数分の逡巡の後に、私は思い切って、近くにいた店員さんに声をかけた。
「あの、あそこのゴキブリ見たいんですけど」
「?」
 店員さんが怪訝な顔をする。
 凍りつく背筋。まずったか。
「ゴキブリ?」
「いや、あの、あそこに大きいのいるじゃないですか」
 ガラス温室を指差す私。
 しかし店員さんは怪訝な顔のままだった。
「ほら、あの……」
「……わかる者を呼んできますね」
 そう言い残して、店員さんはバックヤードへ消えた。
 その時、私は確信していた。
 うん。まずった。今のは完全にまずったぞ。
 変な汗をかきながら待つことしばし。やがて、「わかる者」がやってきた。
「えっと、ゴキブリ? を見たいんですか?」
「そ、そうです。あそこの」
 新しい店員さんが、私の指さした先を見る。
 頼む。今度は大丈夫であってくれ。
 私の祈りが通じたのか、店員さんはそこにあるものを確認すると、にやりと笑った。
「ああ。マダゴキちゃんですね」
 愛称! 愛称だ! この人は大丈夫だぞ。それに、やっぱりちゃんと売り物のようだ。
 ほっと胸をなで下ろす私。
「今、出しますね」
 ガラス温室の前まで来ると、店員さんは鍵を開け、しゃがみ込んでゴキブリのケースを引っ張り出した。
 おもむろに蓋を開ける。
「こんな感じです」
 私も一緒に覗き込む。このゴキブリには羽がないので、見ていられるのだ。
「触ります?」
「それはいいです」
 そこで、私はようやく切り出した。
「これ、値札ついてないですけど、いくらなんですか?」
「ああ、値段ですか。あ、ほんとだついてない」
 ケースを矯めつ眇めつする店員さん。「んー、えーっと。いくらだったっけなぁ」
 ポリポリと頭をかきながら思い出そうとする様子。しかし、結局思い出せなかったらしい。店員さんは、最終的にふっと立ち上がり、
「ちょっと、確認してきますね」
 と言ってバックヤードの方へ駆けていった。
 取り残される、私とゴキブリ。
 ん?
 ちょっと待て。
 いやいやいや。
 だからここは、総合ペットショップなんだってばよ。
 あのね、来るんですよ。キャットフード買ったついでに興味本位でこっちのエリアに来る人が。
 ほら、あそこでヘビみてキモいとか言ってる人、絶対そうでしょ。あっちも。
 そんな中で、ゴキブリと二人っきりで放置とか。
 しかも、温室開いてて、ケースの蓋も開いてるからね。私、今、どこから見てもガチの人ですからね。ごまかしようもなく、ガチでゴキブリ買いに来てる人ですからね。
 あの人たちの目に入ったら、絶対「そういう目」で見られるじゃないっすか。
 どんな罰ゲームですか。いやまあ事実なんだk
「うぁ、なにあれ、きもぉい」
 ほら言われたぁっ!
 私はうつむいたまま、店員さんが戻ってくるのを待つしかなかった。
 店員さんが戻ってくるまでには、5分ほどかかった。
 すがるように店員さんの顔を見る私。
「値段、わかりましたよ。1匹1500円です」
 うん。高いのか安いのかよくわかんないけど。とりあえずそれはいいや。1人ぼっちじゃないならいいや。
「わかりました。じゃあ、ペアで欲しいんですけど、オスとメス、いますか?」
「あ、雌雄ですか。それは、えっと……」
 リアクションに、不穏な空気を感じる私。まさか。
「ちょっと待っててくださいね」
 わぁっ、やっぱりだ。やっぱりそうか。
 私は再び、ゴキブリと水入らずで取り残されることになった。
 視線が痛いよう。
 いや、まあ、雌雄の判別法くらい勉強してから来ればよかったんだけど。この場で唐突に思いついちゃったからね。
 しかしこの空白の時間に、私は貴重な光景を目撃したのだから人間万事塞翁が馬である。
 ゴキブリを凝視している私の側を、3才くらいの女の子とその母親が通りかかった。女の子は、私が対峙しているその巨大なゴキブリを見つけるといたく関心を持ち、「ままぁ、これなにー?」と言いながら、怖がる素振りもなく近づいてきたが、母親はその後ろで凍りついていた。そして、女の子がゴキブリに手を伸ばそうとすると、「だめっ。気持ち悪い。こっち来なさい」と言って女の子を連れていってしまった。隣の棚にはカメの水槽が並んでいる。背後から、「ほら、カメさんは気持ち悪くないねぇ」という母親の声が聞こえた。
 私は、まっさらな子どものうちはゴキブリだって怖くないんだ、という事実を確認したことに喜びを感じ、でもあの女の子も高校生くらいになったら、虫飼ってる男となんか口きいてくれなくなるんだろうなー、と想像して悲しくなった。
 今度は店員さんは、3分ほどで戻ってきた(いたたまれずiPhoneをいじりまくっていたので、時刻をよく覚えているのだ)。
「えっとですね、この、背中に突起がある方がオスで、ない方がメスです」
「なるほど」
 頷く私。確かに胸の突起はだいぶ目立っているが、やはり性差だったのか。カブトムシみたいだな。「じゃあ、ある方とない方」を1匹ずつ。
「わかりました」
 カメの子どもとか、餌用コオロギなどは透明なビニール袋に入れて渡されるから、ひょっとしてこれも同じなのかと思ったが、店員さんはちゃんと、ハムスターを買って飼える時と同じような小さな紙箱を組み立て、その中にゴキブリを入れた。これならば、中は見えない。レジもなんなく通過できるだろう。第三の問題は発生前に解消された。その辺は、配慮されているのかもしれなかった。
 紙箱が手渡され、ガラス温室がもと通り閉められると、私の出で立ちはなんら変わったところのない、「小動物を買って帰ろうとしている人」になった。え? 箱の中身? いやだなぁシマリスですよ。ちょうど子どもが出回ってるでしょ。
 どうやら、ミッションはほぼ終了したようだった。あとは、何気ない顔をして会計を済ませればよい。私は無事にそれをやり遂げた。
 とはいえ、実店舗でゴキブリを購入するのは、いささか精神力を要する作業だった。もし、今後ゴキブリを購入したいという方がいたら、爬虫類専門店などか、通信販売で買うことをおすすめする。変質者だとバレても構わないのなら何も言わないが。
 最後に、店員さんがゴキブリを箱に入れている最中に起きた出来事について書いて終えたいと思う。
 店員さんが箱にゴキブリを入れ、移動中落ち着かせるためのキッチンペーパーなどを詰めている最中に、おばちゃんが1人、我々のところへやってきた。
「まあ、大きなこと。ゴキブリみたいねぇ」
 とおばちゃんは言った。全然怖くはないようだった。
「まさしくゴキブリですよ」
 店員さんが答えても、やっぱり怖くないようだった。
「はぁー、ゴキブリなの。やっぱりねぇ。それにしても大きいねぇ。飼うの? そう。それはそれは。あら、あんた、そのつぶつぶごはんでしょ? 一緒にごはんも入れてあげなきゃかわいそうよ。ほらほら。……そう、そうそう」
 おばちゃんは、ひとしきり言いたいことを言って去っていった。
 私と店員さんは、目をぱちくりさせて彼女を見送り、その後、顔を見合わせて苦笑した。
 たとえこの世が滅んでも、ゴキブリとおばちゃんは滅びない。
 そんなふうに私は思った。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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