動物を飼うときの心構え

      2016/03/20

 ニシアフリカトカゲモドキのやまももは、相変わらず調子が悪い。
 こないだの日曜日にコオロギを2匹食べ、便もカタチのある物になってきたから、このまま回復してくれるかと思ったのだけれど、それ以降はふたたび餌を食べないようになってしまった。
 尻尾の太さは維持しているけれども、顔はいささかやつれている。
 よい状態ではない。
 心労の絶えない日々である。
 動物を飼っていて大変なのはこういうときだ。
 飼っている動物が病気になると(正確に言えば、飼っている動物を病気にしてしまうと)、何をしていても、その動物のことが頭から離れなくなる。治療のために必要な措置をとった後であっても、一時その動物のことを忘れて心を休ませるということが難しくなる。ワールドカップを観ていても、意識の片隅ではその動物のことを考えてしまう。
 大学入試の前には、休憩時間に漫画を読んでいるときであっても、入試のことが脳裏にちらついていまいち楽しめなかったりしたものだろう。大事なプレゼンの前には、どれほど入念に準備がしてあっても落ち着かなかったものだろう。動物が病気になると、それと同じような、薄いけれども持続的な緊張感が、相手が生き物である分より強い強度で心を埋めるのである。何をしていても、「明日は元気になるだろうか」という思いが去来し、心の休まることがないのである。
 言うまでもなく、そういう状態は、かなり堪える。長引けば、じわりじわりと表面を削り取られるように少しずつ、精神が消耗していく。
 消耗が限度を超えれば、ふっと動物の死を願ってしまうことも珍しくはない。
 動物が病気になった時のことを想定するというのは、あらかじめかかりつけの獣医を決めておいたり、アニコム損保に加入することばかりを指すのではない。
 こういう精神状態になることをあらかじめ覚悟しておく、ということも大事なことなのである。
 健康なとき、動物はあなたに癒しをもたらす。
 しかし、ひとたび病気になれば、それは逆に、あなたに緊張を強いる存在に変わる。
 その緊張に、自分は耐えることができるのかどうか。
 動物を飼おうとするとき、飼育者は、その問いを自らに向けなくてはならない。
 それが、動物を飼うにあたっての心構えのひとつである。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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