大事な大事な餌の話
2016/02/05
動物が生きる上で、口から食べ物をとるというのはとても大事なことである。
静脈を確保し、栄養点滴を行ったとしても、口からものを食べることのできなくなった動物の予後はそれほどよいものにはならない。
エネルギー源を、まさに目の前で消化した腸内の食べ物に依存している腸の粘膜の細胞は、消化管を食べ物が通ってこなくなるとみるみる弱っていってしまう。栄養分の吸収を行う腸の粘膜が弱ってしまうと、ますます、食べ物を食べてエネルギーを吸収することが難しくなる。「食べられない」から「食べないでいる」ことそのものが、「食べられない」状態を悪化させるのだ。
それくらい、動物の命は、「食べること」に依存している。
口から食べ物をとり、胃腸で消化吸収することは、他の何よりも重要な、生きることの「基本」なのである。
だから、動物飼育においても、「給餌」がもっとも重要な要素になる。
とにかく餌を食べさせることが、飼育を軌道に載せるまでの最優先事項となる。
餌を食べさせることができさえすれば、飼育は9割方成功したと言っても過言ではない。
餌付けのしやすさがそのままイコール、飼いやすさであることも少なくない。
それだけに、飼育動物が餌を食べてくれないことが、飼育者を悩ませるもっとも大きな要因となる。
ほとんどの場合、動物を家に連れ帰った飼育者はまず、「いかにして餌を食べさせるか」という問題に直面する。
温度管理に不備はないつもり。本に書いてあるとおりに餌を与えている。でも、食べない。どうして?
それが、飼育者がまずぶつかることになる壁の具体的な形である。
仮に環境設定に問題がある場合でも、それはたいてい、「餌を食べない」という形で具現化する。
その壁を乗り越えることが、たいていの場合飼育のスタートだ。
そもそもの環境設定に問題があったり、動物がもともと病気だったりする場合を除けば、飼育者の頭を悩ませるパターンとして代表的なもののひとつは偏食だろう。
たとえば、うちのニシアフリカトカゲモドキのむぎは、月夜野ファームの冷凍コオロギは食べるのに近所のホームセンターで売っている活コオロギは(ガットローディングしているにも関わらず)食べない。このように動物に好き嫌いがあったり、決まったものしか頑なに食べようとしない場合、飼育はにわかに厄介なものになる。栄養バランスをとるのに難儀したり、そもそも餌の入手に困ったりするからだ。
この場合は、「地の果てまでもカタツムリを採りに行く」というようなダイ・ハードな覚悟を決めるのでなければ、好きなものの匂いを移して与えるなどして、徐々に別の餌に慣らしていくことになるが、その移行が手間であることは確かである。それ以前に、「好きなもの」を見つけるのが大変だ。
飼育者の頭を悩ませる別の代表的なパターンは、「飽き」である。
カメレオンなどは、ずっと同じ餌を食べているとその餌に飽き、お腹が空いていても見向きもしなくなる、ということがある。この場合は、別の餌に変えることで食欲を刺激してやればいいのだが、飼育者にとってもっとも手に入れやすい餌に飽きられてしまったりすると、餌の確保は厄介なことになる。飽きが来るのを予防するには常日頃から単一の餌ではなくいろいろな餌をバランスよく与えておく必要があるが、それはそれで大変だ。
このように、飽きっぽかったり、偏食だったりする動物は、飼育者にとっては、手間がかかる、飼い難い動物である。
逆に言えば、飼いやすい動物とは、なんでも飽きずによく食べてくれる動物ということになる。
爬虫類の入門種が圧倒的にフトアゴヒゲトカゲであるのは、丈夫であることよりも賢いということよりも、この動物がその条件を満たしていることに拠っている。むろんフトアゴとて好き嫌いがあるのだが、カメレオンに比べればずっとマシであるわけだ。
動物を飼うときには、とにかく餌を食べてくれなくてはお話にならないし、きちんと餌を与えることができなければお話にならない。
だから、動物を飼うときには、「なんでも選り好みせずによく食べる」ものを選ぶことがとても大事である。
ちなみに私は、気に入った食べ物があるとそればかりを毎日食べ続け、ある日唐突に飽きてその後半年くらいそれを見たくもなくなるようなタイプの人間である。
飼い主はいつでも募集しているが、ちょっと飼い難い動物であるかもしれない。