私は狂気に蝕まれているかもしれない。

      2016/03/20

 カメとの付き合いは長い。
 いちばんはじめに自分の責任でクサガメを飼い始めたのが小学生の頃だから、もう20年近く、私はカメを飼い続けていることになる。
 現時点でもっとも付き合いの長い動物である。
 それ以外の動物で、もっとも飼育歴が長いのが今年3年目になるボールニシキヘビであるから、その差は圧倒的だ(両親のペットであったイグアナと先代のボールニシキヘビは除いている)。
 このような、特定の限られた動物との偏った付き合い方は、時として「認知の歪み」を招く。付き合いの偏りに引きずられて、ものの見方が偏るようになるのである。具体的に言うと、なんでもかんでも、その動物と結びつけて捉えずにはいられなくなる。
 私の場合、その歪みは主にホームセンターで顕在化する。
 ホームセンターには、様々な形、大きさの衣装ケースが売られている。それらの衣装ケースは、もちろん、名前の通り衣類を収納することを目的として販売されている商品である。セーターが何枚収納できる、というようなことを売り文句としているわけで、売る側はもちろん、それ以外の用途など想定していない。ところが、私の目は、それらの衣装ケースをほとんどすべて、「カメを飼うための器」として映してしまう。
「おお、このサイズなら、メスのクサガメを終生飼育できるではないか!」
 大容量の衣装ケースを見ると、とっさにそんな反応をしてしまうのだ。
 この異常なリアクションは、中学生の頃、どんどん大きくなっていくクサガメを収容できる、中学生の小遣いでも買える入れ物を探して、街中を駆け巡った体験に起因している。中学生の私は焦っていた。子どもの手のひらに乗るくらいだった子ガメは、目をみはるようなスピードで成長しており、プラケースも、昔熱帯魚飼育に使っていた45cm水槽もあっという間に手狭になった。私は容器の更新に追われていた。大きなガラス水槽は高かった。安くて、大きな入れ物となると、衣装ケースくらいしか思いつかなかった。結果、私は、焦燥とともに「カメを飼うのにより適した衣装ケース」を模索しながら商店を覗くようになった。そのうち気がついたら、アタマの中には「衣装ケースを見つけたらカメが飼えそうかどうか評価する」という神経回路が形成されてしまっていたのだ。
 一度形成された回路は容易にはなくならないようで、もうカメは飼わない、と思っている今でも、なぜか衰えるどころか活発に活動し続けている。
 今日も、山積みにされている大きくて丈夫そうな衣装ケースを発見して、「おお、これは……」とカメを飼う予定もないのにその目線で歩み寄ってしまった。色気づいて学生時代に買い集めた衣類が、実は未だ全部収納しきれていないにも関わらず。
 ほとんどビョーキと言ってよい。
 クサガメの驚異的なスピードが、それほどトラウマ的だったのかもしれない。
 救いは、私が衣装ケースとして正しく認識できない衣装ケースは、蓋付きで容量の大きなコンテナタイプのもの、「衣替えの時、使わない衣類を収納する用」のものに限られているということである。何段かの引き出し式になっている、タンス替わりの普段使い用のタイプは、カメを飼う容器としては対象外なので、きちんと、「衣装ケース」として認識することができている。そのことが、自分の認知はそこまで狂っているわけではないのだ、という心の支えになっている。
 すまない。
 正確を期そう。
 正しく言えば、そのことが、心の支えになっていた。
 昨日までは。
 というのは、今日、私は気づいてしまったからである。
 大量のトカゲモドキを、レターケースや引き出し式の衣装ケースをずらっと並べてその中で飼育しているブリーダーたちに、自分の心が侵食されてしまっていることに。
 今日、引き出し式の衣装ケースが売られているところを目にした私は、「あー、ブリーダーさんはこんなん使ってんだなー」とまず考えていた。トカゲモドキの飼育容器として、それを見ていたのだ。色気づいて学生時代に買い集めた衣類が、実は未だ以下略。
 私の認知の歪みが、拡大していることは間違いがなかった。
 これはやばいと、そのとき私は思った。
 いよいよ狂い始めているのかもしれないと、家に帰って私は泣いた。
 涙を拭うためのティッシュペーパーは、動物の飼育管理グッズをまとめた棚にしか置いてなかった。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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