飼育に必要なのは予測ではなく覚悟である
2016/02/05
動物を買う前に、その動物の面倒を最後まで見られるのかどうかしっかり考えようとは、よく言われることである。
最後まで飼い切る見通しが立たない状態で動物を飼い始めるのは無責任であるという考えは、確かに正しい。
4畳半一間のアパートに住んでいるのにケヅメリクガメを飼おうとしている人がいたら、それは「ちょっと待って」と誰だって言いたくなる。
けれども、見通しが立たない限りは飼ってはいけないとは、なかなか言い切ることはできない。
未来は誰にもわからないからだ。
極端なことを言えば、明日自分が、今日と同じように生きている保証なんてどこにもない。純粋に確率的に言うならば、「100%最後まで飼い切れる」と判断することは不可能である。
明日、首を切られたらどうする?
来年は、今年と同じようにちゃんと仕事がまわってくるだろうか?
転勤を命じられて、狭い社宅に住まなければいけなくなったら?
電撃的に出会った恋人が、動物ギライだったらどうしよう?
子どもが私学に行きたいと言い出したら?
親の介護が必要になったら?
そしてまた……津波が来たら?
今、「飼える」と判断しても、その根拠となる現実は未来までは約束してはくれないのだ。
逆に、今、4畳半に住んでいても、場合によっては来年には1戸建てが借りられるかもしれない。それならばケヅメリクガメを飼うことも不可能ではない。
現状から未来を推測することは、ある程度までは可能だけれども、限界がある。
どうあがいても、「万が一」はなくならない。
その意味で、動物を飼うことは、投資と同じように、本質的にギャンブルである。
そうである以上、動物を飼うにあたって必要なことは、最後まで飼い切れるかどうかよく考えること以上に、何があっても最後まで飼い切る覚悟を固めることではないかと思っている。
ケヅメリクガメを買った。だから、1年以内に一発あてる。
飼い始めた以上、なにがあっても生き抜いて、収入を確保してやる。
そういう覚悟を決めることこそ、実は、動物飼育においてもっとも重要なことではないだろうか。
Twitterでは、「レプタイルズショーで100万使った」みたいなツイートが流れていた。そういうツイートをする人たちは、財政がピンチであることを、ほとんど楽しげに書いていた。
こういう人たちは、多分覚悟を決めているのだろう。そしてだからこそ、飼育を楽しめているのだろう。
私もいいかげん、そのくらいな覚悟を固めなければいけないのだろう。
まったくもって今更なのだが。