「資格をとる」だけで終わらない生き方。――株式会社アフェックス経営センター、岩佐保宏さん

      2016/02/05

 獣医師というと、みなさんはどんな姿を想像するだろうか。
 白衣を着て、犬や猫に聴診器を当てている姿? 作業着に身を包んで、ゾウやキリンに寄り添っている姿? 深夜、血まみれになりながら、逆子の仔牛を母牛から引っ張りだしている姿? メディアに登場する獣医師は、そんな風にして、動物たちと直にぶつかりあっている場合がほとんどだ。だから、獣医師ときけば、たいていの人が、同じような姿を想像するのではないかと思う。
 もちろん、その想像は間違ってはいない。多くの獣医師は、程度の差こそあれ、直に動物と関わる現場で働いている。
 けれども、獣医学科を卒業し、獣医師免許を取得した者がみな、そのような仕事に就くわけではない。中には、意外なところに活躍の場を見つけ出す人たちもいる。
 たとえば、株式会社アフェックス経営センターで、経営コンサルタントとして働く岩佐保宏さんがそうだ。彼は、獣医師免許を持ちながら、主に個人病院などを対象にした経営コンサルタントの仕事に従事している。
「月に1回、クライアントを訪問して、領収書とか通帳とか、全部預かってきます。で、収入、支出、経費とかを全部データ化して、わかりやすいようにグラフとかにまとめて、クライアントに持っていきます。給料計算とかもしますね。で、そのデータをもとに、決算期に締めの作業をしたり、確定申告をしたり、っていう感じですね」
 元サッカー日本代表の小野伸二選手にそっくりの顔で、岩佐さんはそう説明してくれた。
「院長先生には診療に集中してもらって、後のことは全部こっちでやりますから、っていう仕事です」
 なぜ、獣医師であるにも関わらず、そのような仕事をしているのか。
「だって、経営のこととかって、大学じゃ教わらないじゃないですか」
 というのがその理由だ。
 私も獣医師であるからよく知っているけれど、獣医学科には、経営学だとか労働法規だとか、経営者が学んでおくべき分野の授業は一コマたりとも用意されていない。一定以上の従業員を雇っている場合は個人事業主であっても厚生年金に入らなければいけない、みたいな基本的なことも知らずに、獣医師は社会に出ていくのが現状である。小動物臨床医であれば、歯科医と同じように、独立開業することが、すなわち自らが経営者になることがほとんど唯一のキャリアパスであるにも関わらず、私たちはそういうことを教わらないまま、その道を歩き出さねばならない。
「だから、そういうことがわかる獣医師がいたら、強いんじゃないかと思って、この仕事をはじめたんですよ」
 動物に関わる仕事をしたいと考えてはいたものの、もともと、臨床家を志してはいなかった。獣医学科への進学を決めたのは、動物に関わる仕事の中で、もっとも堅実なのが獣医師だと思えたからだ。
「とりあえず獣医になっておけば、最悪食いっぱぐれることはないかなって」
 獣医師は国家資格。資格を持たない者が業務を行うことは禁じられている。たとえ過疎で働き手が減ってしまったとしても、獣医師の仕事を他の誰かが代行するわけにはいかない。だから、獣医師でなければ遂行できない行政職の担い手は、地方では引く手数多だ。働く場所を選ばないのなら、どこかに仕事が待っている。業務独占資格である獣医師免許は、人生のセーフティーネットなのだ。
 1度そのような仕事を得てしまえば、あとはその中でやりくりすることを考えそうなものである。だが、岩佐さんはそのセーフティーネットの上で安住することなく、そこからさらに「挑戦」する道を選んだ。
 その挑戦とは、「社会の仕組み」に対する異議申し立てである。
「日本って、文系出身者が社会を動かしてるじゃないですか。だから、そういう文系の牙城に、理系として切り込んでみたいなって思ったんですよ」
 岩佐さんの言う通り、日本の社会は文系によって作られていて、理系の地位は低い。さっき、獣医師は経営学を学ばない、ということを書いたけれども、社会の仕組みは文系によって作られていて、理系はその仕組みをよく知らない、ということはままあるのだ。だから経営という企業社会の根幹に関わる仕事を通じてその仕組みを知り、そこに挑戦していきたいと岩佐さんは考えたのである。
「NOSAIで働いてたのも、そういう理由ですね」
 実は岩佐さんは、今の仕事に就く前、千葉県の農業共済組合が持つ家畜診療所で働いていた。対象は牛や豚などの経済動物だが、ガチガチの臨床で現場仕事だ。だから一見、「社会の仕組み」とは関係がないように思えるけれど、そうではない。TPPの加盟交渉でも農業分野は揉めているように、農業・畜産業は経済の動きに直接的に左右されるからだ。牛や豚などの経済動物の診療は、オーナー側も愛玩動物のように採算度外視では行えず、経済性を考慮した上で実施されなければならない。その牛を廃用にした方がコストを抑えられるなら、かわいそうに思えても治療は行われない。そのような仕事に従事することは、臨床医の感覚を身につけるとともに、経済の動きを肌で感じる機会にもなる。今のキャリアからすれば一見遠回りに見えなくもないけれど、その選択にも必然があったのである。
「その上で、動物病院も、経営の側から見られるようになれたらいいなって」
 だから、医療施設を主な顧客とする会社に入ったというわけ。類似施設の生の経営に直接触れることができるからだ。
 ゆくゆくは、「経営者として」動物病院を開く、というのが当面の目標だという。今までの仕事で把握してきた「社会の仕組み」の中で、まずはうまく立ちまわること。それが第一の挑戦、というわけだ。
「あくまで、当面の目標なんですけどね」
 そこで終わるつもりはない、と岩佐さんは言外に滲ませる。なんと射程の長い人生設計だろうかと、目の前の仕事を片付けることに追われている私は驚嘆してしまう。
 そんな岩佐さんは、これから社会へ出てくる若い人にも、「挑戦」することを薦めている。
「獣医学科の学生には、臨床だけが獣医じゃないよってことを伝えたいですね。もっと言えば、獣医師だからって資格に縛られることはない、ってこと。資格が必要な仕事しかしちゃいけないわけじゃなくて、それ以外の分野でも、獣医学の専門知識を活かしてよりよい仕事をしていくことはできます」
 今、獣医学科に入学してくる学生のほとんどは、漫画やドラマや、あるいは実在の臨床医に憧れて、いわゆる「動物のお医者さん」になりたくてやってくる。けれども実際には、臨床は獣医師の仕事のごく一部だ。製薬会社などでの研究開発や、行政機関での公衆衛生事業など、獣医師という「資格」が欠かせない職域は数多い。ただ、そのことには学生たちも、在学中、比較的早い段階で気づくことになる。岩佐さんが言うのは、「その先」の話だ。
 たとえばインターズーという出版社がある。獣医師向けに診療に関する雑誌や書籍を発行している会社である。ここでは、それぞれの雑誌の編集長をみな獣医師が担っている。雑誌編集の仕事に獣医師免許は必要ないけれど、獣医師向けに、獣医師自身や、その先にいる飼い主たちのニーズに応える誌面作りをするためには、獣医学の専門知識が欠かせないからだ。それは、文系の、診療の現場を知らない編集者が付け焼き刃で身につけられる知識ではなく、現場で経験を積んできた獣医師の力がどうしても必要になる。「獣医師免許がいらない」からと言って、「獣医学的知識がいらない」わけではないのである。このように、資格そのものが不要でも、獣医師が活躍できる分野はたくさんある。資格をとったからには資格が必要な仕事に就かなければ、と拘る必要はなく、アイデア次第でいろんなことができるのである。
「資格や知識の使い方を、もっと柔軟に考えて欲しいですね」
 と岩佐さんは言う。
「で、それ以外の学生に言うとしたら、なにかしら、最低限食ってける何かを掴んだほうがいいよ、ってことですね。保証があると、安心してなんでも挑戦できますから」
 先ほども書いたように、獣医師免許のような資格を持っていれば、そこそこの働き口がどこかには転がっている。ということは、獣医師になれば、なにかに挑戦するに際して、「ダメだったら死ねばいい」、「実家を継げばいい」の他に、「ダメだったら獣医師として就職すればいい」という選択肢を確保しておけるわけだ。セーフティーネットがあるから、安心して攻めていくことができる。リスクがとれる。まったく畑違いの分野に飛び出していった岩佐さんのように。同様の「お守り」を、なにかしら手に入れておくことが、この不安定な時代を生き抜いていく大きな力になるというわけだ。
 現代社会は、「グローバル化」の名の下に「人材」の「規格化」を推し進めようとする趨勢にある。労働者がいくらでも換えのきく存在であれば、人件費を際限なく切り詰めることができるからだ。その流れに抗うためには、各々が自らの「かけがえのなさ」を高めていく必要がある。手に職をつけることはそのための有効な手段のひとつだけれど、もし、1つではなくてもう1つ、専門分野があったらどうだろう。それらをうまく組み合わせれば、あなたの「かけがえのなさ」は、飛躍的に高まるのではないだろうか。資格にとらわれるのではなく、それを「上手く使う」という視点はとても大事なものだと私は思う。岩佐さんはそれを体現している人の1人だ。若い人たちにはこんな生き方をしている人がいるよ、ということを知ってほしい。
 手に職をつけることを、ゴールにしてしまってはもったいない。それを武器にすれば、より自由な生き方を手に入れることができるのだ。いろんな資格を取得するのが流行りだけれど、どうせ時間とお金をかけて取得するなら、ぜひ、「その先」も見据えてみたらどうだろうか。
「無敵ですからね、獣医」
 そう言って笑う岩佐さん。人生いつでも順風満帆とはいかないだろうけれど、同期として私は心から応援したいと思う。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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