夢を語れ、そして叶えろ。――東京スネークセンター支配人、金子ヒサミツさん

      2016/05/05

 原宿に、「東京スネークセンター」というお店がある。ヘビを眺めながらお茶を飲んだり、ヘビとのふれあいを楽しんだりすることのできる「ヘビカフェ」である。
 そんなマニアックなお店が、果たしてペイするものなのかい、とはじめてその存在を知ったときに私は思った。爬虫類好きの私にとっては嬉しいお店だけれど、世の中にはヘビの嫌いな人の方がずっと多い。「爬虫類カフェ」ならまだしも、さらに限定して「ヘビカフェ」というのは、さすがに暴挙なのではないかと思ったのだ。
 ところがどっこい、開店した東京スネークセンターは、連日大勢の客が訪れ、メディアの取材が相次ぐ「注目のお店」となった。メディアを集めてオープニングイベントを行ったり、プレスリリースを配信したりと、広報活動もいわゆる「爬虫類カフェ」とは一線を画している。ウェブサイトもなんだかおしゃれだ。それらを見て、私の心は、「このお店は、なんだかすごいぞ」という方向に傾いた。そして、住宅地に出現したら間違いなく悪い方向でニュースになるヘビという生き物を、人気者に仕立て上げているこのお店は、いったいどんな人が運営しているのだろう、どんな経歴の持ち主なのだろうと、関心を持つようになった。ひょっとしたら、「好き」を仕事にしたい人たちの、参考になるお話が伺えるかもしれない。
 そこで、支配人である金子ヒサミツさんに、私はお話を伺うことにした。

きっかけは音楽活動

 インタビューの申し込みを快諾していただいた私は、とある平日の午後、東京スネークセンターを訪れた。平日の昼間であるにも関わらず、お店には、途切れることなくお客さんがやってくる。その対応の合間を縫って、金子さんはインタビューに応じてくれた。
 まず伺ったのは、スネークセンター開店までの道のりだ。
 もともと金子さんは、サラリーマンとして長く働いていたのだそうだ。
「大学は明治大学を出て、新卒でNTTに入社しました。20年、そこで営業マンとして働いていました」
 NTTといえば、押しも押されもせぬ一流企業である。通信事業の中心的存在であり続けてきたし、年収ランキングでトップを飾ることも多かった。今でも、「NTTから内定をもらった」と言えば、後輩から尊敬の眼差しで見られることだろう。そこに就職することは、人生の「勝ち組コース」であると言っていい。金子さんにしても、勤め先に不満があったわけではなかった。
「仕事は、とても楽しかったですよ」
 と金子さんは言う。
 では、どうしてそんなNTTを退社し、起業の道を歩むことにしたのか。
 きっかけは、趣味で始めた音楽活動だったという。
「30才過ぎくらいからですかね、打ち込みで音楽を作って、インターネットで配信するってことをはじめたんです。ちょうど、機材も普及してきた頃だったので。自称ミュージシャン、みたいな感じで、かっこつけてやってました」
 その活動をする中で、やっぱり自分は、ものを作ったりするのが好きなんだな、と感じるようになったのだそうだ。
「それで、NTTに不満があったわけではなかったんですが、もっと、何か自分の得意なこと、好きなことを活かしていくことはできないのかな、と思うようになって。それで、自分を振り返ってみると、学校の教科でも、体育と、音楽と、図工、この3つが好きで、得意だったんですね。仕事の中でも、たとえばパワポの資料とか、自分で言うのもなんですけど、センスを褒められたりして。だから、そういうのが、やっぱり自分の原点なのかなっていうところに帰っていったんですよ」
 普通のサラリーマンの仕事では、それこそパワポの資料作りくらいでしか、自分の特技は活かせない。じゃあ、どうすればその特技を活かしていけるのか。それを考えた結果、クリエイターとして独立するという結論に至ったのである。
 とはいえ、そのまま音楽活動で食べていくのはさすがに難しい。知り合いから音楽関連の会社の働き口を紹介されたりもしたのだが、それはあくまで、営業などの仕事。ミュージシャンとして雇ってくれるところはなかった。そこで、グラフィックデザイナーをしていた弟さんと組んで、デザインの仕事をしてみよう、と考えた。
 その準備のために、金子さんは長年勤めたNTTを退職する。
「NTTは副業禁止なんですよね。だから、その時点でNTTは退職して、知り合いのやってるIT企業に一旦転職したんです。それで、まあ、彼らには悪いですけれど、自分の仕事のための準備を並行して始めました」
 活動中に大変だったのは、副業をしていることを社内では公にできないことだったという。
「部下もいましたから、彼らが頑張ってる中で、副業があるからちょっと抜ける、とか言えないじゃないですか。副業的にはじめると、そこが大変でしたよね」
 それでも、着実に起業のための準備をすすめていた金子さん。予想外だったのは、その最中に、リーマンショックが起こってしまったことだ。
「景気が悪くなって、広告関係ががたがたになったんですよ。企業からの発注も減りました。それで、ちょっとグラフィックデザインの仕事でやっていくのは厳しいんじゃないかってことになって。ただ、おかげで気付いたんですよね。そういう広告なんかを請け負って作るんじゃなくて、自分から、プロダクトだったりサービスだったりを作って、発信していく方が性に合ってる、っていうことに。それで、そっちの方向に転換することにしました。起業する、ほんとに直前だったんですけど」
 けれども、そうすると今度は、何を作るのかということが問題になる。それを考える中で浮かんできたのが「ヘビ」だったという。
「子どもの頃住んでたのが、山の中ってわけじゃないですけど比較的自然の多いところで、よく生き物を追っかけたり、捕まえたりしていて。生き物はもともと好きだったんですよね。特にヘビは、生まれが巳年っていうこともあって、よく母親から、“ヘビみたい”みたいなことを言われてたんですよ。もちろん、悪い意味じゃありません。それでなんとなく、親近感みたいなものを感じるようになっていて。
 あとは、罪悪感みたいなものもありました。子どもの頃、生き物を捕まえてくるのはいいけど、殺しちゃうことも多かったんですよ。オタマジャクシをたくさん捕ってきて水槽に入れておいて、翌日全部死んじゃったとか。悪気があってのことではないですが、後から振り返ってみると、申し訳なかったなって思うようになって。その罪滅しとして、なにか、環境の保護とか、そういうものに繋げられることができないか、とも考えて。
 モチーフとしても、優れていると思ったんですよね。曲線美っていう言葉はあっても、直線美っていう言葉はないでしょう。曲線ってたぶん、美しいんですよ。ヘビの体は曲線そのものだから、造形として美しい。それに、鱗の柄もバリエーションに富んでいて、いろんなものがありますよね。加えて、昔からいろんな逸話・伝承があって、物語性がある。そういうところが、いいなと」
 そこで、ヘビをモチーフにしたブランドを立ち上げるという結論に至ったのである。
「いつか、きっとヘビブームがくると、勝手に信じてたところもありますね」
 そう付け加えて、金子さんは笑った。
 こうして、2010年6月、ヘビをモチーフにしたオリジナルデザインを発信するブランド、「hepi」が誕生する。

レンタルカフェで大ブレイク

「はじめは、彫金のアクセサリーからはじまって、抜け殻のお守りを作ったりとか、あとこの、寿司屋の湯呑みのパロディで、ヘビの名前を漢字で書いて並べた湯呑みを作ったりとか。それを、東急ハンズなどでのクリエイターの集まる催事で販売したり、雑貨屋さんに営業をかけて置いてもらったりっていう活動を、5年くらい、続けてきました」
 当然といえば当然かもしれないが、はじめたばかりの頃は苦労も多かったようだ。できたばかりの無名の会社で、扱っているのは、悪いイメージも少なくないヘビのデザイン。嫌な顔をされることもあったという。うまくいかないことが続けば貯金もだんだん減ってくるし、奥さんからは「サラリーマンに戻ってくれ」と言われることもあった。それでも、めげずに営業を続け、ラインナップや販路を拡大していった。
「ネクタイなんかも、加工してくれる業者をネットで探して、2、3軒断られて、やっと話を聞いてもいいよってところを見つけたりとか。え、ヘビぃ? とか言われながら」
 その中で、次第に、ヘビの好きなお客さんが、集まってくるようになる。
「東京レプタイルズワールドとかのイベントにも出展してたので、ペットショップの人たちとも、つながりができていって。生体を売ってる人たちが、逆にお客さんになってくれたりするんですよね、ありがたいことに」
 そうしたつながりが重なっていき、さらに、2014年の巳年には大きく売り上げが伸び、hepiの事業は勢いをつけていく。そこにちょうど重なっていたのが、いわゆる「動物カフェ」のブームだった。
「爬虫類カフェとか、フクロウカフェとか、いろいろできてきましたよね。それで、ヘビカフェってあったら面白いんじゃないかって」
 そこで、いよいよ、金子さんは「ヘビカフェ」の開店に乗り出すことになるのである。
 実際には開業の2年ほど前から、構想は固まっていたとのこと。とはいえ、期待していたほどの「ヘビブーム」は訪れず、先立つものもなかった。そこで、まず試みたのが竹下通りの“レンタルカフェ”で、試験的に営業をしてみることだった。
「夜、バーをやっているお店で、昼間の空いてる時間に店舗を貸し出して、そこで第3者がカフェをやる、みたいなところがいくつかあるんですよ。それをたまたま紹介してもらって、はじめました」
 こうして、最初の「東京スネークセンター」がオープンする。2014年11月のことである。
 すると、これが大当たりした。土日に不定期に開店するようなやり方だったにも関わらず、「原宿のヘビカフェ」として注目を集め、大勢のお客さんが集まるようになったのだ。
「開店前から、Twitterなんかで、原宿にヘビカフェができるらしいって話題になってたみたいなんですよね。それで、開店2日目くらいから、すごい行列ができるようになって。雑居ビルの5階にあるお店だったんですけど、階段を通じて1階まで列ができてしまったりして。途中の階の飲食店からぶつくさ言われるくらいに」
 行列を解消するために1時間の入れ替え制にしたのだが追いつかず、最終的に、インターネットによる完全予約制に切り替えることになった。それによって行列は解消されたものの、1週間前には席が埋まってしまうほど予約が殺到。メディアに取り上げられたこともあり、「行ってみたい」という人がさらに増えたのだ。1時間でオーダーをとり、ドリンクを用意し、ふれあいの時間をとらなければならないので、スタッフの方はてんてこ舞いだったという。
 しかし、その盛況ぶりが、「これはいける」という確信に繋がった。レンタルカフェの契約が2015年3月で切れた後、金子さんは本格的に、カフェを開くための物件を探し始める。
 場所は原宿にこだわった。それは、原宿が情報の発信基地になっているからだ。
「ここは、日本中のクリエイティブな人たちが集まってくる街ですし、外国からの観光客も多いですよね。日本はもとより、世界の人がその名前を知っている。若くてエネルギーのある街です。だから、ヘビカフェをやって、ヘビブームみたいなものをしかけていこうと思ったら、やっぱり場所はここがいいんだろうな、と思って」
 原宿には、大勢の人が訪れる。大勢の人が訪れるということは、その中に含まれる「潜在的なヘビ好き」の絶対数も多くなるということだ。おもしろいものを探している人、好奇心の強い人が集まる街でもある。興味本位で訪れた人を引きずり込んで、ムーブメントを起こすなら、これほど相応しい場所は確かにないだろう。
 しかし、そんな情報の発信基地は、「動物カフェ」には厳しかったという。ファッションの街である原宿には、服屋として使える細々とした物件はあるものの、飲食店として使える物件はほとんどなかったのだ。「動物もOK」な物件となると、さらに限定されたものになった。
 その中で、明治通りと表参道の交差点という絶好のロケーションに出会えたことは、奇跡と言えるだろう。
「エレベーターで8階まであがらなきゃいけないってのはありますけど、場所としては最高ですよね」
 そうして、物件を確保した東京スネークセンターは、2015年8月にグランドオープンを迎える。以降の盛況ぶりは、冒頭で申し上げた通りである。奥さんも今では、率先して、厨房で働いてくれている。
 お店を運営していく中で、大事にしていることはなにか、と尋ねてみると、「対内的にはチームワーク、対外的には“こだわり”を持つこと」という答えが返ってきた。
「チームって大事なんだっていうのを、NTTにいた時も言われてましたし、ここでも大事にしようと思ってます。小さな組織ですけど、お互いがお互いを支えあって仕事をしていくっていうことがちゃんとできるような職場にしたいなと。
 で、こういう仕事ですから、やっぱりこだわりって大事だと思うんですよ。内装をどうするとか、ヘビをどんなふうに置くかとか、それをどう外に発信していくか、とか、ぜんぶこだわってます。計算、とまでは言わないですけど、ヘビカフェもひとつの“作品”だと思ってるので、出せるものはぜんぶ出さないとって」
 その成果が、今の好発進に繋がっているのだろう。
 なお、経営をしていく上でのノウハウは、NTT時代に培ったものがベースになっているのだそうだ。
「起業するといっても、1人でやるわけじゃなくて、結局会社を起こすわけですから。その動かし方っていうのには、やっぱり、会社で働いた経験が生きてきますよね」
 まったく違う仕事を始めたからといって、それまでの経験が無駄になってしまったわけではなく、むしろ、その20年があってこその今、と言えるのかもしれない。
「だから、起業したいって思ってる人でも、はじめはちゃんとした企業で3〜5年くらいは働いた方がいいですよ。組織としての意思決定の方法とか、営業のかけ方とか、勉強するにはいちばんですから」
 金子さんはそう語ってくれた。

ヘビのエージェントとして

 以上が、金子さんのこれまでの歩みである。
 しかし、もちろんこれがゴールではない。東京スネークセンターの開業後も、金子さんは新しいことを試みている。たとえば生体販売だ。このようなお店をやっていると、やはり生体を欲しがる人も現れるそうで、生体を販売できるようにしたり、飼育グッズを販売するようにしたりと、少しずつ事業を拡大させているという。
「スタッフに獣医もいますから、いずれは、ヘビの診療所も開きたいと思っています」
 のみならず、今後はヘビに関するもの・ことならなんでも扱うお店にしていきたいそうだ。
「ヘビをモチーフにしたものって、けっこうあるにはあるんですよね。財布とか、靴とか、ジャケットなんかもありますし。各ブランドがそういうのを作ってて、上から下まで、ヘビで揃えようと思えば揃えられる。でも、そういうのを、まとめて扱ってるところってないんですよ。たとえば、東急の財布売り場に行ったら、蛇革の財布が1個は見つかるかもしれない。でも、西武に行ったらたまたまないかもしれない。つまり、財布欲しいなと思って財布売り場に行って、たまたま蛇革の財布を見つけて買うってシーンはあるんですけど、逆に、蛇革の財布が欲しい、って思った時には、片っ端から財布売り場を見るしかないんです」
 だから、生体、雑貨、衣類から絵画、パネルのようなものまで、なんでも揃うようなお店があれば、もっと人が集められるのではないか、と考えているのだそうである。
「ヘビものが欲しいと思った人が、“ここならあるはず”ってうちを思い出してくれるようなお店になるのが理想です」
 そこは、好きな人にとっては夢のような空間になることだろう。私も、お話を伺いながらつい前のめりになるのを抑えることができなかった。ぜひとも実現して欲しい未来像である。
「で、そういうふうにして集まったお金を、ヘビを守る活動に還元するようなサイクルが作れたらいいなと思います」
 ヘビに代わって、その魅力を世間に伝え、得た対価をヘビのために使う。「ヘビのエージェント」という言葉で、金子さんは自らの夢を語ってくれた。

夢を語れ、そして叶えろ

 大企業での安定した生活から飛び出し、「ヘビ」という、言ってしまえばマイナなテーマで独立を果たした金子さん。そんな金子さんに、若い人たちへのメッセージを伺ってみた。
「そうですね。最近の若い人は、自分の身の丈をわきまえてと言うか、小さくまとまる傾向にあるって言いますけど、僕は、若い人には夢を語って、それを叶えて欲しいと思います。思い描くだけじゃなくて、言うと責任が生まれるので、それを言って、どうやって叶えていくかを考えてみて欲しい。言うと、協力者も出てきますから」
 そう言ったあとで、金子さんが持ち出してきたのは、「野良犬と飼い犬、どちらが幸せか?」という喩え話だ。
「僕はね、どっちも不幸だと思うんですよ」
 奇をてらったように思える答えだが、それはもちろん、経験に裏打ちされたものだった。
 金子さんがNTTを辞めるとき、驚いたことがひとつあった。それは、退職を打ち明けた同僚たちが口々に、「自分も実はやりたいことがあるんだ。自分も近々辞めるかな」と言ってきたこと。
「でも、実際には今も、彼らはNTTで働いています。踏ん切りがつかないみたいなんですよね」
 それを悪いとは言わないけれど、それでも、やりたいことをやっている人の「隣の芝生」は見えてくる。その芝生を見て、ああなりたかったな、と思いながら生きるのは、ちょっと不幸なことなんじゃないかと金子さんは思ったそう。
「逆に、親の代からの店を次いで自営業をしているみたいな人からは、サラリーマン生活いいなぁって言われることがあるんですよ。お互い、隣の芝生を羨ましがりながら生きている。それでそのまま、やっておけばよかったって後悔しながら死んでいったら、やっぱりちょっと不幸ですよね。そのままなら、どっちも不幸」
 そう結論づけた後で、「でも」と金子さんは続ける。
「でも、1回会社を飛び出してみて、やっぱり自分はサラリーマンの方が合ってると思って会社に戻ったら、その人にとってのサラリーマン生活は幸せなものになりますよね。本当に自分はこの生き方が合ってるんだって思えるから。自営業の人も同じです。だから、憧れるんだったら、反対のことを一度やってみたらいいと思うんです。
 要するに、悔いを残すな、やりたいことはやれってことですね」
 だから、金子さんは、若い人にも思い切って挑戦して欲しいのである。野良犬として生きるにしても、飼い犬として生きるにしても、不幸な人生を送らないように。
「まあ、私自身、まだまだ道半ばで、模索してるところなんですけどね。借金抱えながら」
 言葉とは裏腹に、金子さんの表情は明るかった。それは、自分の足だけで歩いていくことに、不安よりも、わくわくする気持ちを強く感じているからなのだろう。好きなことを仕事にして頑張っている人は、やっぱり輝いて見えるものなのだなぁと私は思った。
 50才にして新しいことに挑戦し続けている金子さんを見ると、確かに、20代で小さくまとまってしまうのはもったいないのかなぁ、という気がしてくる。もちろん、大きな船を離れ、小舟で荒波の中に漕ぎ出していけば転覆のリスクは増える。考えなしに飛び出すのは危ないだろう。けれども、「まとまった」つもりでいても、35才くらいになると、「自分はこのままでいいのか」と迷う時期がたいてい誰にも訪れるものなのだそうだ。どうせ迷うのなら、いろんなことに手を出していった方が、悔いのない人生を送れるのかもしれない。自分も、悔いのないように、人生の選択をしていきたいものだと私は思った。
 みなさんも悔いを残さないように、やりたいことをやりきってみたらいかがだろうか。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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