爬虫類を飼うということ

      2016/02/05

 「とかげもどきのしっぽ。」は、ニシアフリカトカゲモドキの魅力を世の中の人に伝えるために誕生したブログです。「こんな魅力的な生き物なら、是非飼ってみたいなぁ」と1人でも多くの人に思ってもらえることを目標として運営されています。ですから、もし、今あなたが、「ニシアフなんて名前はじめて聞いたけど、なんだかとってもかわいいじゃないか、飼ってみようかな」と思ってこの文章を読んでくださっているとしたら、管理人として、これほど嬉しいことはありません。できることなら、今からあなたのところへ行って、「ようこそ爬虫類の世界へ! ウェルカム!」とハグをして差し上げたいくらいです。
 けれども、もしあなたが、「爬虫類」というグループのことをよく知らないまま、「なんだかかわいいなぁ」という印象だけでここへやってきたのであれば、私はここで、いくつかの忠告をしなければいけないことになります。ニシアフリカトカゲモドキを含む爬虫類は、私たちがよく知っている(少なくとも、よく知っているつもりでいる)犬や猫とは、いささか趣を異にする生き物だからです。爬虫類には爬虫類の都合があり、飼育生活を幸せなものにするためには、その都合を尊重してやらねばなりません。爬虫類を飼う前には、「爬虫類を飼うとはどういうことか」を、あらかじめよく知っておいていただかなければいけないのです。
 あるいは、その忠告は、せっかく「ニシアフはかわいい」と思ってくださったあなたの、興を削ぐことになるのかもしれません。「そんなにうるさいことを言われなければいけないのなら飼わない」と思われてしまうかもしれません。それはとても残念なことです。それでも、私はここで、その忠告をしなければなりません。生き物を飼うことには多かれ少なかれ責任が伴うものであり、「ニシアフを飼いたい」という人にも、もちろんその責任を負ってもらわなければならないからです。その責任をきちんと手渡しすることが、ブロガーとしての私の責任でもあります。そんなものは受け取れない、という方には、残念ながら回れ右をしていただくしかありません。
 もし、これから私が書く内容を最後まで読み終わっても、あなたの「ニシアフリカトカゲモドキを飼ってみたい」という気持ちが変わらないのだとしたら、その時こそ、真に私とあなたがハグを交わすべき時です。熱い抱擁を交わしましょう。そしてそのままバイカルアザラシのように、深い深い「ニシアフ沼」の底まで、共に潜っていきましょう。
 では、参ります。

犬猫のようには飼えません

 さて、爬虫類初心者のあなたに、私が伝えなければいけないことは、突き詰めれば、この一言に集約されます。
 爬虫類は、犬猫のようには飼えません。
 これは、言い換えれば、「人間の生理的欲求を満たすような仕方では、爬虫類と関わることはできない」ということです。
 人間は、社会性動物です。本能的に他者とのコミュニケーションを求めるように、身体が設計されています。コミュニケーションなくして、私たちは生きていくことができません(社会的に、ではなく、生理的にそうなんです。だから2ちゃんねるなんてものができる)。また、さきほど私が「ハグ」を持ちだしたように、スキンシップを好む動物でもあります。誰しも、好きな人とは、くっつきたくなるものでしょう。コミュニケーションとスキンシップは、いずれも人間の持つ大きな欲求のひとつです。ですから、飼育動物に対しても、人はそれを求めます。
 犬が、愛玩動物の王様であるのは、その欲求にほぼ完全に応えることのできる動物だからです。犬は、人間とコミュニケーションをとることを求め、スキンシップを交わすことを求めます。同族よりも、人間との関わりを求める非常に特殊な生き物です。また、共感能力が高く、感情が飼い主のそれとシンクロします。人間を含めた他のどんな動物よりも、犬は、飼い主のことを「わかってくれる」動物なのです。だから、多くの人は犬を飼い、それに癒やされることになります。
 一方で、爬虫類は、その欲求にはほぼ完全に応えることができません。
 ある程度の社会性を持ち、社会性行動をとる種もないわけではないですが、爬虫類のそれは、人間や犬のそれとは大きく性質が異なります。意思を疎通し、感情を共有するためのコミュニケーションは、彼らの世界には存在しません。また、スキンシップという概念もありません。彼らにとって、何者かに触れられるというのは、自分が攻撃を受けるということとほぼイコールです。ですから基本的に、身体に触れられることを嫌います。慣れれば、触れられても平然としている個体も少なくありませんが、触れられることを好む個体は存在しません。基本的に、人間が愛玩動物に求めるものとは、ずれたところにいる生き物なのです。
 爬虫類を飼いたいという人には、まずそこを、しっかりと認識していただきたいと思います。もし、「コミュニケーション」や「スキンシップ」を求めて動物を飼おうとしているのであれば、どれほど彼らの容姿に惹かれたとしても、別の動物を選んだ方がよいでしょう。
 個人的な感触としては、爬虫類を飼うことは、犬を飼うことよりは、部屋で観葉植物を育てることの方に近いです。「愛玩動物」ではなくて、「観賞用動物」。あらかじめ、それくらいの心づもりで臨んでいただけると、あなたにとっても、爬虫類のとっても幸せなのではないかと思います。

爬虫類を飼うことは、環境を飼うこと

 では、爬虫類を飼うにあたって、必要なものとはなんでしょうか。
 コミュニケーションもスキンシップもノーサンキューということになると、「愛情は不要なのか」と鼻白む人がいたりしますけれど、もちろん、そんなことはありません。それとこれとは別のことです。勘違いしている人が多いですけれど、コミュニケーションやスキンシップというのはあくまで、「人間流の愛情表現の方法」であって、「愛情そのもの」ではありません。それらがなくとも、対象に愛情を向けることは可能です。古来より私たちは、コミュニケーションもスキンシップもできない野の花や、風景や、虫や車やオーディオといったものをそれでも愛でてきました。それは、人間の稀有な能力のひとつです。動物を飼うのですから、せっかくならその能力を発揮してやりましょう。いずれにせよ、愛情(あるいは狂気)がなければ、動物が天寿を全うするまでの長丁場を乗り切ることはできませんから。
 では、爬虫類に対する愛情は、どのように発揮すればいいのか。もっとも効果的な発露の方法は、とにもかくにも、「お金を稼ぐ」ということに尽きるのではないかと思います。爬虫類を飼うことは、とりもなおさず「環境を飼うこと」だからです。
 爬虫類は、その生息環境に強く依存した体のつくりをしています。本来の生息環境と大きく異なる環境の中では、うまく生きていくことができません。湿潤な日本で生まれ育ったのに、乾燥したパキスタンの支所へ異動させられることは、人間の場合は「左遷」で済みますけれど、爬虫類の場合はほぼ「死刑宣告」になってしまいます。ですから、遠い異国からやってきた爬虫類を健康に飼育するためには、生息地の環境を、飼育容器の中に再現してやらねばなりません。砂漠に棲む種には乾燥した環境を、熱帯雨林に棲む種には湿潤な環境を、というように。それが、爬虫類を飼育するために最低限、必要なことです。
 ところが、そのためにはお金がかかります。当然ですね。たとえば冬のある日本で、年中暑い熱帯の生き物を飼おうとするなら、熱帯の太陽の代わりに石油やウランをじゃんじゃか燃やして、そのエネルギーで保温をしてやらなければいけないのですから。夏は夏で冷房が必要です。うちの電気代の明細、やばいですよ。一人暮らしなのに40Aだし。そもそも、光熱費以前に、空調設備を整えるだけの設備投資をしてやらねばなりません。「3000円のトカゲを飼うために30000円の設備費用がかかった」なんてことはざらにあります。私は、まだニシアフ沼にハマる前、ボールニシキヘビに夏を越させるためだけにエアコンを買い増しました。モノには寿命がありますから、ときどき交換も必要です。とにもかくにもお金がないことには、どうしようもないのです。
 もちろん、飼育にお金がかかるのは、爬虫類に限ったことではありません。犬を飼おうが猫を飼おうが、お金はかかるし、かけた方がいい。動物にお金をかけたくない、という人は、いかなる動物も飼うべきではないと思います。でも、犬を飼うことと爬虫類を飼うこととでは、「お金をかける」ことの意味合いが違うのは確かです。
 すべての犬の中で、もっとも情緒的に安定していたのは、ホームレスの犬だった、という話を聞いたことはないでしょうか。ホームレスの方は、仕事に行かなくていいので、1日じゅう、ずっと犬と一緒にいられます。さきほども書いた通り、犬は飼い主とのコミュニケーションを求め、スキンシップを求める動物ですから、これは、犬にとってはとても嬉しい状態です。飼い主にろくな収入がないせいで、お腹は空いているかもしれないし、ひょっとしたら体調も崩しがちかもしれない。それでも、飼い主といつでも一緒にいられることで、少なくとも精神的な充足を、犬は得ることができるわけです。飼い主がホームレスであることは、犬にとっては、悪いことばかりではない。
 でも、爬虫類にとっては、飼い主が無収入のホームレスであることは、悪いことでしかありません。お金はないけどずっと一緒にいられる、なんてことは、爬虫類にとってはちっとも嬉しいことではないからです(あるいは余計ストレスかもしれません)。お金がないせいで環境も整わない、餌もろくに食べられない、というデメリットしか、彼らには残りません。
 犬にとっては、お金をかけることは、愛情表現のひとつです。一方、爬虫類にとっては、お金をかけることは、愛情表現のすべてです。こんなふうに書くと、犬を飼っている人に怒られそうなのですが、お金の「重み」が、まったく異なるのです。
 1時間、自由にしていい時間を与えられたときに、「〇〇ちゃんかわいいでちゅねー」と爬虫類を撫でくり回すこと(犬を飼っている人にとっては、その時間は、犬にとっても必要な時間です)にではなく、ティッシュ配りでもなんでもいいからお金を稼いでくることに使おうと思うのが、爬虫類飼育に向いている人のマインドセットなのではないかと、私は思います。

爬虫類は、野生動物

 爬虫類は、あくまで野生動物である、ということも、忘れてはいけません。
 犬や猫は、人間社会の中で暮らすことが前提の「家畜」です。もともとは野生動物だったわけですが、長い時間の間に、自然界を離れ、人間界で暮らす動物に変化しました。今では、人に飼われることが彼らにとっての「自然」であり、彼らを野に置かず、飼育下に置くことが人間の義務にもなっています。人が犬や猫を飼うことには、正当な理由があるのです。
 しかし、爬虫類は事情が異なります。野生動物である彼らには、人に飼われなければいけない理由はひとつもありません。人が彼らを飼わなければいけない積極的な理由もありません。爬虫類を飼うということは、飼育下にある必然性のない生き物を、人間のエゴで無理やり飼育下におくということなのです。
 それでも、ただエゴであるだけならば問題にはなりません。適切な環境で飼育されているのであれば、飼育下にある爬虫類は、野生下の爬虫類よりは幸せである可能性があるからです。飼育下では飢えることもないですし、外敵に怯えることもありません。一度、環境に馴染んでしまえば、あとはぬくぬくと余生を過ごすことができます。ですから、飼育下におかれることが、個体にとって不幸であるとは、必ずしも言い切れません。動機が人間のエゴであったとしても、結果として幸せな生活ができるなら、個体レベルではいいこと、と言えるでしょう。
 しかし、飼育のために採集されることは、野生個体群にとっては確実にマイナスとなります。個体群を維持するための構成員を他所へ連れて行かれてしまうのですから。毛皮をとるために撃ち殺されるのも、ペットにするために連れ去られるのも、「個体数が減る」という点で、個体群にとっては同じことです。それが、繁殖によってリカバリー可能な程度だったとしても、マイナスであることに変わりはありません。野生動物を飼うということは、多かれ少なかれ、野生個体群に影響を与えることなのです。場合によっては、その動物を絶滅の淵に追いやるリスクをも孕んでいます。実際、ある種のリクガメなどは、ペットトレードによって個体群が大打撃を受け、保護が必要な状態になってしまいました。爬虫類を飼おうとする人は、自分がこれから、そのような行為に手を染めようとしているのだということを、自覚しておかなければいけません(爬虫類に限らず、家畜以外の動物を飼おうとする人は、ということですが)。
 そのような行為が、かろうじて正当化されるのは、飼育を通じて、飼育者の意識が生態系、自然環境の方へ向き、その保全に関心を持つようになった場合においてのみです。その場合に限り、野生個体群から個体を連れ去る行為は、人々の意識を「保全」に向けさせるための「投資」だったという意味を持つようになります。動物園の動物と同じです。
 逆に言えば、飼育者の意識がそういった方向へ向かわないのだとしたら、爬虫類を飼育する行為は、「ただの自然破壊」だということになります。
 入り口は「綺麗」「かわいい」で構わないのですが、一度飼いはじめたら、自然環境のことにも、関心を向けていただきたいな、と思います。

あくまでマイナな趣味なのです

 これから爬虫類を飼ってみたいという人に、最後に申し上げたいことは、爬虫類飼育は、あくまでマイナな趣味なのだ、ということです。
 人は誰しも親ばかですから、動物を飼っていると、その動物を人に見せびらかしたい衝動に駆られるものです。「うちの子は、こーんなにかわいいんだから」と、道ですれ違うすべての人に写真を、それどころか生体そのものを見せてまわりたくなる気持ちは、私もわかります。でも、そのような衝動は、なるべく、抑えるようにしてください。世の中には、爬虫類がどうしても嫌い、という人がたくさんいるからです。
 写真を見せれば、「わ、これかわいいね、私も飼ってみたい」と好意的な反応を返してくれる人ももちろんいるでしょう。でも、節操なく爬虫類を見せつけていたら、その反応を1人から引き出すまでの間に、少なくとも10人に不快感を持たれることは間違いありません。SNSにアップするくらいならよいと思いますが、交友関係もない、「爬虫類好き(あるいは生き物好き)」という文脈も共有していない人の目に触れるような場所にいきなり爬虫類を晒すのは、ちょっと危険だと思います。
 普通に生活をしていると、特に前面に押し出したりしなくても、「爬虫類を飼っている」ということはじわじわと知れ渡っていくものです。そうすると、興味を持ってくれる人が何人かは出てくる。その人たちに、「ほら」と見せてあげる。それくらいが、「適度な爬虫類の見せびらかし方」でしょう。クラスメートが教室にハムスターを連れて来て、歓声を浴びている。じゃあうちも、などとは考えてはいけません。
 飼っている動物を、お散歩に連れて行きたいと考える人も少なくないようですが、これにも配慮が必要です。周辺で遊んでいた子どもたちが底引き網レベルで釣れる、という破壊力も持つお散歩ですが、一方で、公園など、公共の場所に連れて行けば、どうしても、「爬虫類の嫌いな人」の目に触れる恐れが出てくるからです。好き嫌いは感情の問題ですから、この種は怖くない、危なくないと、理屈で説得しても意味はありません。目に触れた時点でもうだめ、です。さらに、脱走した、人を咬んだなどのトラブルがあれば、無関心で放置しておいてくれていた人たちを、「嫌い」の側へ押しやることにもなりかねません。私は基本的には、生体のストレスにならないのであれば好きにすれば、という立場ですけれど、周囲への配慮や、社会全体から見たときの自分の立ち位置の把握は、忘れないようにして欲しいと思います。爬虫類は、あくまでマイナな生き物なのです。「犬猫のようには飼えない」という一点を以て、メジャにはなれないことを約束された生き物なのです。

 爬虫類を飼うことは、間違いなく、素晴らしい体験です。でも、その「素晴らしさ」の質は、あなたが思っているような、あるいは、世間で求められているような「素晴らしさ」とは、ちょっと違っている可能性があります。爬虫類を飼いたいと思った人は、そのあたりを、どうか自分の胸に手を当ててよく考えてから、はじめの1匹を導入するようにしてください。

 いかがでしょうか。読んでみて、「それでも私はニシアフを飼いたい」と思われましたでしょうか。
 思われたのであれば幸いです。私は、そのような方との出会いを、いつでも渇望しております。
 さあ手をとりあって、ニシアフ沼に潜りましょう。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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