大嫌い!が仕事になった。――東京スネークセンター 渡辺晋獣医師

      2016/05/05

 群馬県に、ジャパンスネークセンターという施設がある。およそ10000万匹におよぶヘビを展示する、「ヘビの動物園」である。世界最強の毒ヘビと言われるブラックマンバや、巨大なアミメニシキヘビをはじめ、世界中の多種多様なヘビが飼育されている。正式名称は財団法人日本蛇族学術研究所。日本で唯一、ヘビを専門に研究を行う研究施設でもある。ヘビ好き、爬虫類好きの間では、名の通った存在だ。
 そんなジャパンスネークセンターで、10年余り、ヘビの飼育、および診療に携わっていた獣医師の方に、私は原宿で出会った。「原宿のヘビカフェ」として話題の東京スネークセンターで、現在スタッフとして働いている渡辺晋さんである。
 日本では珍しい、ヘビを専門に診てきた獣医師。いったいどんな道を歩んでこられた人なのだろうと関心を持ち、私は、彼に話を聞いてみたいと思った。獣医師としても、爬虫類好きとしても、おもしろい話が聞けるのではないだろうか。それは、きっと、このブログを読んでくださっている読者の方々にとっても、興味深いものに違いない。そこで、東京スネークセンターへ赴き、インタビューをさせていただくことにした。

もともとヘビが嫌いだった。

 日本で唯一のヘビの研究施設で経験を積み、現在、日本で唯一の「ヘビカフェ」で働いている。そんな経歴を持っているものだから、インタビューをする前、私は渡辺さんのことを、根っからのヘビ好きなのだと考えていた。子どもの頃から、野山でヘビを追い掛け回して捕まえて、飼育したりしてたんですよ、なんて、そんな話が聞けるのではないかと勝手に期待していた。
 ところが、インタビュー開始早々、渡辺さんの口から飛び出してきたのは、意外な言葉だった。
「爬虫類、とくにヘビなんてのは、つい最近までダメだったんですよ」
 自宅では犬やインコや金魚などを飼い、小学校3年生の時点で文集に「獣医になりたい」と書くほど動物が好きだったにも関わらず、ヘビは触れないほど苦手だった、というのだ。
「一般的な人がヘビに対して持ってるネガティブなイメージを僕も持ってて、気持ち悪いな、とか思ってました」
 これには私も驚いてしまった。10年以上ヘビに関わってきた人が、もともとヘビが嫌いだったなんて。
「僕自身、自分がこんな、ヘビに関わる仕事をするようになるなんて、想像すらしてませんでしたね」
 もともとは、動物園で働く獣医師になろう、と考えていたのだそうだ。中学生の頃から魚にハマり、大学で所属していたのは魚病学研究室。水族館もおもしろそうと、考えていた時期もあったという。いずれにせよ、ヘビを診る獣医になろうなどとは、これっぽっちも考えていなかったのだ。
 それがどうして、ジャパンスネークセンターで働くことになったのだろうか。
「はじめの就職のとき、動物園には行けなかったんですよね。まあ、すぐでなくてもいい、という気持ちもあったので。それで、最初は普通の動物病院で働き始めたんです。
 ただ、まあ、やっぱりなにか違うな、というのがあって。で、病院を辞めて、実家に戻ったんです」
 そこから、動物園で働くためになにか動こうと考えた時に思い当たったのが、ご実家と同じ群馬県にある、ジャパンスネークセンターだったのだ。
「もともと、動物園でいろんな動物をやりたいって思ってましたから。苦手でしたけど、だったらヘビも勉強しておいたら、役に立つんじゃないかって、まずは実習に行ってみることにしたんですよ。それが最初ですね」
 ヘビのことは、嫌いながらも、「怖いもの見たさ」的な関心は持っていたという渡辺さん。とはいえ、勉強のため、また、いくら実家から近かったとはいえ、そこで最初に苦手な動物からはじめてしまうという勇気には脱帽せざるをえない。ヘタレな私には、ちょっとできそうもないことだ。
 それでも、その時点ではあくまで、「将来に向けての勉強のひとつ」という感覚だったという。まさかそこで働くことになろうとは考えていなかったそうだ。
「ただ、そのとき、獣医として勤めてらっしゃった方が、定年で辞められるというので、代わりに来ないかって、声をかけられたんです。それで、正規の職員ではないのですが、スネークセンターで働き始めることにしたんですよ」
 ある意味、やむにやまれぬ就職活動の結果が、現在に至るまでのキャリアの出発点になっているというわけだ。新卒でつつがなく一般の動物園に就職できていたら、渡辺さんは今のような立場にはいなかったかもしれない。人生、何が幸いするかわからないものである。
 そうは言うものの、ヘビを触れないままでは、スネークセンターに勤め続けることなどできない。渡辺さんは、どのようにしてヘビ嫌いを克服したのだろうか。
「まあ、慣れと割り切りですよね。はじめはほんとダメだったですよ。実習のとき、ふれあいイベントの手伝いをさせてもらうことがあったんですけど、そのときに指導係の人からふれあい用のでかいアオダイショウを渡されて、鳥肌が立って。ああダメだって。でも、実習生とはいえ“スネークセンターの人間”なわけだし、できないとは言えないじゃないですか。それで、気持ち悪かったけど受け取って、イベントやって。そういうのの積み重ねでだんだん慣れて。それに、勉強しにきてるって状況ですからね、それで割り切って、触れるようになりました。まあ、そんなに時間はかからなかったと思います」
 簡単に言うけれど、割り切るのだってけっこう難しいものだ。私はゴキブリ嫌いを克服しようとマダガスカルオオゴキブリと暮らしてみたものの、単体ならともかく幼虫がわらわらと群れて蠢いている様にどうしても慣れることができず、ぜんぶトカゲに食べさせてしまった経験を持っている。そんな私は渡辺さんの気合いに恐れ入るしかなかった。なにしろ今では、大嫌いだったはずのヘビの魅力を伝えたいと思っているくらいなのだから。
 人間その気になればなんだってできる、ということを痛感させられるようなエピソードだ。

ヘビのことを知ってもらうために。

 こうしてジャパンスネークセンターに就職し、ヘビ専門の獣医師として、キャリアを重ねていくことになる渡辺さんだが、その道のりはなかなか多難だったようである。
 なにしろ、ヘビの病気のことなんて、今よりもわかっていなかった。技術を勉強できるような場所もなかった。前任の獣医師から引き継ぎとして基本的なことを教わったが、その当時はスネークセンターでも本格的な治療を行っていたわけではなかったから、ほとんどのことは独学で、身につけていかなければならなかったのだ。
「まあ、手技とか、病気のこととか、テキストはあったので、そういうのは読んで頭に入れました。でも、まず、正常な解剖がどうなってるのかすらわからなかったですからね。血管の走行がどうなってるのか、とか。だから、飼育してるヘビで死んだものがでたときには必ず解剖して、内部構造を覚えるようにしてました。それでも、たとえば採血にしても、まず針を刺す角度がわからないし、深さもわからないし。はじめは探り探り、おっかなびっくりやるしかなかったです」
 医療はいわば実技科目。言葉で説明されても、実際にやってみなければ身につかないものである。お菓子作りのレシピを読んで、「7分立て」ってどのくらいだよ!? と途方に暮れた経験のある方も少なくないと思うが、医療手技のテキストを読んで医療者が抱く感慨もそれと変わらない。最適なメレンゲの固さは試行錯誤しながら各々が掴んでいくしかないように、医療技術も実践を繰り返して、勘所を掴むしかないのである。指導係のいない渡辺さんは、それを1人でこなしていかなければいけなかったのだ。
 「失敗もありましたか」という私の質問には、「それはもう」と苦笑い。
 しかも、当時のジャパンスネークセンターの経営状況は、獣医は獣医の仕事だけしていればいい、というような余裕のあるものではなかった。
「当時、来場者数も減ってて、けっこう厳しい状態だったんですよね。だから、お客さんを集めるために、手を打たなきゃいけなかった。それで、いかにお客さんに来てもらうかってのを、僕も考え始めたんです」
 獣医として死亡個体の解剖や、病気になった個体の治療を行いながら、集客にも奔走する日々。
 しかし、結果としてはそのことが、今に繋がるきっかけになったと言える。
 どうすれば、「ヘビしかいない動物園」にお客さんを集めることができるか。それを考えるうちに、ヘビという動物の魅力を伝えることに、渡辺さんの関心は移っていったからだ。
「もともとそういうことに、興味があったはあったんですよね。それでまあ、やってくなかで、だんだん、そっちの方がおもしろく思えるようになってきて」
 ふれあいに力を入れたり、スネークセンターの建物を利用して、アート展を開催したり。「元ヘビ嫌い」でヘビに関心のない人たちの気持ちになれる、という強みを武器に、渡辺さんは様々な取り組みを始める。「スネークセンターに勤めている自分」という存在を知ってもらうことも宣伝になるのではないかと考え、職場の外の趣味の集まりなどにも飛び込んでいったのだそうだ。実際にそのつながりを通じて、ふれあいイベントを出張でやってくれ、と依頼が舞い込むこともあったという。
「ほんとはまあ、そういう社交とか、あんまり得意じゃないんですけど」
 スネークセンターで働き始めたことに続き、またしても苦手なことに果敢に挑んでいく姿勢に脱帽してしまう。
 ともあれ、その一環として、自らヘビをあしらったTシャツをデザインしはじめたことが、のちに東京スネークセンターを開業するhepiの代表、金子ヒサミツさんとの出会いを招き寄せることになる。
「自分で作ったTシャツを、スネークセンターの売店で売って、それをブログに載せたら、金子さんの目に止まったんですよ。それで、ブログ上でやりとりがはじまって。で、お互いの関心の方向が一致しているなということで、東京スネークセンターを開く時、声をかけてもらったんです」
 実際には、金子さんからヘビカフェの話を持ちかけられた時、渡辺さんはジャパンスネークセンターを退職し、草津熱帯圏で働いていた。より幅広い動物について学ぶためだ。しかし、金子さんと直接顔を合わせ、話が盛り上がったことで、一緒にヘビカフェをやりたいという気持ちが高まったという。
 臨床だけに専念していたら、この出会いはなかったかもしれない。ある意味、逆境をチャンスに変えたと言えるだろう。

目指すは外部展開

 資金面での制約はあるものの、自分のイメージに近いことを実現でき、充実しているという渡辺さん。別の機会にお店を訪れた際、その仕事ぶりを拝見させてもらったが、スネークセンターで培った知識を活かして、お客さんにヘビについての説明をしたり、飼育に関する相談に答えたりしている姿はとてもいきいきとしていた。
 そんな渡辺さんに、今後の展望を訊いてみた。
「今後は、こうしてお店に来てもらうだけじゃなくて、外に出て行って、いろんなことをしたいですよね。子ども向けの体験教室とか、ふれあいコーナーとか。群馬でやってたときも、やっぱり子どもは喜んでくれましたから、保育園とか学校とか、そういうところへ行ってやるのも可能性としてはあるんじゃないかな、と。あと、レイアウトとして熱帯魚を置きたいっていうお店に、水槽を設置して、メンテナンスもするようなサービスってあるじゃないですか。それのヘビ版というか、まああんまり需要ないかもしれないですけど、そういうこともできたらいいなと思います。
 ジャパンのときに知り合った海外の研究者とか、獣医とかもいるので、そういう人たちと提携して、いろいろやっていけたらいいなとも思いますね。ただ動物カフェ、というだけではなくて」
 十分な診療施設を作るのは難しいかもしれないけれど、ジャパンスネークセンターで培った獣医としての経験も活かして、できることはやっていきたいと考えてもいるそうだ。
「ペットとしてヘビを飼う人も増えてますしね。動物が好きな子どもたちに、ヘビも診れる獣医さんになろうって思うきっかけを与えられるような場所にもできたらいいですよね」
 ある動物病院で爬虫類の診療ができるかどうかは、「そこに勤める獣医師が爬虫類を好きかどうか」に依存している。大学のカリキュラムでは、爬虫類のことなんて学ばないからだ。東京スネークセンターのような場所を通じて、爬虫類の魅力が現在の、あるいは未来の獣医師たちに届けられるとしたら、それは素晴らしいことだ。
 最後に、若い人へのメッセージを伺ってみる。
「そうですね。若いうちは、いろいろなことを経験するのがいいのかなぁと思います。将来の夢がころころ変わってもいいと思いますしね。その中で、いろいろ興味が湧いてくるでしょうし。ひとつのことに固執するのが悪いとは言わないですけど、視野は広いほうがいいと思います。
 ただ、特に興味のあることが出てきたら、たとえば動物に興味を持ったのであれば、それこそヘビならヘビとか、眼なら眼とか、そういう特定のものをひとつ、きちんと突き詰めておくといいと思います。専門、というほどではなくても、人よりわかるようにしておくと、それが自信につながりますから。精神的にいいと思うんですよ。それに、将来的にも、きっと役に立つと思いますから」
 「ヘビ」を突き詰める一方で、臨床にとどまらず広報やデザインといった分野に目を向けていたことが今に繋がっている渡辺さんの歩みは、その言葉を裏付けているように思われる。
 これからも、ヘビはもちろんのこと、それに限らず、おもしろそうなことがあれば積極的に取り組んでいきたいという渡辺さん。「何かアイデアがあったら、ぜひ声をかけてください」と私もお願いされてしまった。そんな渡辺さんの歩みに、今後も注目していきたいと思う。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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