無計画。
2016/03/18
東京レプタイルズワールド2015冬で、懲りずにニシアフリカトカゲモドキを買った。
スーパータンジェリンと銘打たれて販売されていた個体だ。
名前の通り、赤みの強い体色をしたその個体に、一目惚れしてしまったのだ。
もちろん、まだ幼体だから、成長するに従って体色は変化していくことになる。明度・彩度とも次第に低下していくことになるだろう。けれども、通常は黄色みが強いことの多いニシアフの幼体にあって見事な緋色に染まっているその個体は、成長してもおそらく、その赤みを留めるだろうと思われた。だから、その将来性も込みで、連れて帰ることにしたのだ。
いくつかの漫画を、またKindle版に置き換えなければならない、と考えながら。
ともあれ、新しい生体を買ったからには、その生体のための飼育器具を揃えなければならない。
買ったトカゲモドキをいったん販売ブースに預け(会場内は、生体を連れてうろつき回るにはいささか混雑しすぎていた)、私は、飼育器具を販売しているブースに足を運んだ。
ケージと、シェルターと、ヒーターと、と考えながら、人混みをかき分けて行く。
はた、と歩みが止まったのは、もう目の前が用品ブース、というところでだった。新宿駅のコンコースだったら間違いなく後ろの人に舌打ちされていただろう唐突さで、私は足を止めた。混雑しすぎて会場内ではほぼ全員がナメクジペースで歩いていたことは幸いだったといえるだろう。
足を止めたのは、あることが脳裏をよぎったからだ。
そういえば、今、うちには遊ばせている飼育器具がいくらかなかったか。
そう思ったのだ。
いくらか、無駄に買っておいてあるような記憶があった。生体の成長に伴って、更新もしているし。
遊ばせているものがあるのに、新しいものを買うのはもったいない。動物に金を惜しむべきではないとはいえ、無駄遣いをしていいことにはならないだろう。
私は、今、うちに余っている器具に何があったかを、思い出そうとした。
アオジタトカゲのざくろが小さい時に使っていたケージに、今はスキンクヤモリが入っている。と、いうことは、スキンクヤモリがもともと入っていたケージは空いている、ということだ。だからケージはたぶんある。
シェルターはどうだろう。そういえば夏に、ウェットシェルターの気化熱でどれくらい温度が下がるか、試したことがあったはずだ。その時に実験用に買ったものが、使われずに残っているんじゃなかろうか……。
水入れは……なんか1度、多めに買った気がするな。まだ、余りが残っていたっけな……あるような気もする。
用品ブースに積まれた飼育器具の山を見ながら、私は考えた。
両脇をたくさん人がすり抜けて、次々買い物をしていくのを見送りながら考えた。
今、買って帰らなきゃいけないものはなんだ。
買わなくてもいいものはなんだ。
しかし、結論はでなかった。
飼育器具は、あるように思えるのだけれど、もうないような気もしてきてしまったからだ。
すおうが来て、ケージを使った。もう1個たしかある気がしたけど、あれ、確か蓋が壊れてるんじゃなかったっけ……?
実験に使ったシェルターは、1個すおうに使ったよ。あれ……もう1個あったんだっけ?
水入れ……ほんとにまだ余ってた……?
遠赤外線ヒーターを除き、今うちにあるものについて、私は極めてあやふやな記憶しか呼び起こすことができなかったのである。
あるような気もするけど、ないような気もする。
そこから、1歩も進むことができなかった。
私は、途方に暮れたまま、ブースの前に立ち尽くしていた。
いくらなんでも、ずっと一箇所にとどまっているというのは、邪魔以外のなにものでもなかったことだろう。
まったく、これだから、衝動買いは困るのだ。
自分でしでかしておきながら、私は思った。
計画的に、新しい個体を買うつもりであったならば、あらかじめ、家にある器具を確認し、なんならセッティングまでした状態で、会場にやってきたことであろう。それならば、悩む必要はなかった。会場で買うべきものは、はっきりしていたはずだ。買うつもりもなく、したがって確認もしてこなかったのに、突然買ってしまうからこういうことになってしまうのである。
私は、自らの軽率を恨んだ。
……いや、それは都合のよい言い方だ。
軽率は、根本的な問題ではない。
なぜなら、私は、日々の食事の材料を買うために「計画的に」スーパーへでかけたときでさえ、冷蔵庫の中身を確認してくるのを忘れる人間だからである。
厳密に言えば、確認を怠る人間だからである。スパゲティをもう茹で始めてから、オリーブオイルがなくなっていることに気がつくような人間なのだ。
だから、もし「今日は新しい生体を買う」と心に決めて会場に向かったとしても、どうせ器具の確認は、しないまま家を出たに違いない。結果はきっと変わらなかったのである。
そもそもまともな人間ならば、自分の家になにが置いてあるのかを、きちんと把握しているはずだ。
つまり、衝動買いに責任を求めるのは、筋違いなのだ。
もっと深いところにある「無計画」の根をこそ、私は恨まねばならないのだ。
というか直さねばならない。
まあ、ブースの前でいつまでも自省していても始まらないので、私はしかたなく一通りのものを買った。あるはずだと思ってなかった場合より、ないと思ったらあった場合の方が、少なくとも動物飼育に関してはずっとマシだからだ。迷ったものは、買っておくのが無難だ。だから、ケージもシェルターも水入れも全部買って、私は家路についた。
果たして、家に帰り着いてみたら、ケージもシェルターも水入れも、全部あった。
ケージを置くために漫画本をさくさくと片付けながら、出かける前に、冷蔵庫を覗く癖をつけようと、私は思ったのだった。