最後のひとり。case3――ミナミゾウアザラシ

      2016/05/05

丸子

 前2回は、執筆時点 で国内での「最後のひとり」となっている種類を紹介したが、今回はもう既に国内からいなくなってしまった種類を紹介したい。つまり、最後のひとり“だった”個体で、もう既に日本にはいないということだ。

case3:ミナミゾウアザラシ

 ゾウアザラシは、名前のとおり巨大なアザラシだ。アシカやセイウチ、アザラシなどのいわゆる鰭脚(ひれあし)類の中で、最大のグループである。北米大陸の西海岸に分布するキタゾウアザラシと、南極大陸周辺の海にすむミナミゾウアザラシの2種がある。ミナミの方がキタより少し大きく、ミナミのオスは3トンを超えることがある。いっぽうメスは数百キロ~1トン弱程度で、雌雄の体格の差が顕著だ。また、両種ともオスには大きく長い鼻があり、それをゾウに見立てて、もう一つの名前の由来となっている。1頭のオスに複数のメスというハレムを形成しており、ハレムを奪い合ってオスたちは闘争する。その際、その巨大な鼻を風船のように膨らませ、震わせて、相手へのディスプレイをおこなう。巨大な体をぶつけ合って闘い、当事者たちは真剣そのもので大迫力だと思うのだが、鼻風船はなんとも奇妙滑稽でもある。

 そんなゾウアザラシは、日本での飼育の歴史は意外と古い。
 最初に飼育されたのはキタゾウアザラシの方で、1955年から飼育された記録がある。その年の3月31日に2頭が日本動物園という名前の移動動物園で飼育されたようだが、残念ながら長くは生きなかったようだ。翌1956年1月には大阪にかつてあった堺水族館でも飼育されたらしい。いずれの施設も現存せず、当時の飼育状況が詳しく分からないのが非常に悔やまれる。その後も継続して飼育例があるのかどうか確認できなかったが、おそらく、キタの飼育例はそんなにたくさんはなかったと思われる。最後に飼育されたのは千葉県の鴨川シーワールドにいた個体で、2000年ごろ死亡したようだ。以後、日本にキタゾウアザラシが飼育された記録はない。
 ミナミのほうが後から入ったが、こちらのほうが多く飼われたようだ。発見できた最古の記録は1958年4月11日に上野動物園に入ったオスメス1ペアだった。以後、1964年に江の島水族館、1980年に伊豆三津シーパラダイスと、いくつかの場所で飼育が始まる。1964年に江の島に入ったペアは長期飼育(13年と15年生存)に成功したという論文の記録が残っている。論文になっているということは、逆に言うと、当時はそんなに長く飼えていなかったことが推察される。ちなみにこのペアは「大吉」「お宮」という名前で、オスの大吉は当時世界最大ともいわれるほど巨大に育ったことで知られる。死後に剥製標本になり、しばらくは旧水族館の跡地に建てられた商業施設内で展示されていた。そこで初めて見たときには、この世のものとは思えない巨大なアザラシで、その迫力にとても驚いたことを憶えている。ゾウアザラシお得意の前半身 のみ立ち上げた姿で剥製になっていたが、それだけでヒトの背丈の倍くらいあった(というのは言い過ぎかもしれないが、少なくともわたしにはそう感じられた)。その後、その施設は別のものになり、剥製は筑波にある国立科学博物館の収蔵庫に移ったと聞いている。特別展などの際に公開されることもあるようだが、いつかまた見てみたいものだ。それから、江の島水族館といえば、おそらく最も有名なゾウアザラシとなった「みなぞう(美男象)」の話題も欠かせない。1995年3月から飼育され、2004年4月に新江ノ島水族館がグランドオープンしてからも継続して飼育された。当時日本最大のアザラシで、バケツを抱えて“アッカンベー”をする姿が有名だったが、2005年10月に残念ながら死亡した。

剥製となった大吉

剥製となった「大吉」。国立科学博物館のバイオロギング展(2011年)にて。もはや海獣でなく怪獣だ。

 長い前振りとなってしまったが、いよいよ今回の「最後のひとり」を紹介したい。三重県の二見シーパラダイスで飼育されたメスのミナミゾウアザラシ「丸子」が今回の主役だ。彼女は1989年1月に生後約3か月で南アフリカから二見に来館した。1992年ごろには年下のオス「元気」が来館、その後1995年には娘の「夢海子(ゆみこ)」が誕生し、国内初(そして唯一)の繁殖例となった。元気は1999年8月に、夢海子は2009年12月に死亡し、丸子が「最後のひとり」となってしまったのである。
 わたしはこれまでに2006年9月と2011年2月の2回訪問し、いずれも丸子に会うことができた。というか、小さな水族館に巨大なゾウアザラシで、行けば必ず見えるし、逃げも隠れもできないのだが。ショーの時間になると、丸子はセイウチなどとともに広場に登場し、パフォーマンスを披露する。来館者と同じ空間にいるのでその迫力を間近に見ることができる。真偽のほどは不明だが「元祖アッカンベーアザラシ」として、得意のアッカンベーポーズを披露する。そういえば、2006年のときなどは、上半身を背中側に折りたたんで(体がとても柔らかい)、当時一世を風靡した「イナバウアー」なる技もあった。そんなユーモラスな仕草によって、来館者がミナミゾウアザラシという生き物への親近感をもつことに貢献してくれていたと信じたい。

丸子と夢海子

2006年の訪問時。まだ娘の夢海子が一緒に暮らしていた。ハッキリ言ってメス2頭でも狭すぎる部屋なのに、オトナのオスまでいたというのだから驚きだ。芋洗いのごとくぎゅうぎゅうのハレムで暮らす動物なので、パーソナルスペースは狭くてもいいのかもしれない……。

 そんな丸子は、ひとり生き残ったあともとても長生きをし、2012年9月にはミナミゾウアザラシの飼育期間の世界記録(23年)を更新した。そして2013年4月、24年間の世界最長飼育記録をもって死亡した。約18年といわれるミナミゾウアザラシの寿命から考えると、かなり長い一生だったといえるかもしれない。繁殖と長寿、2つもの記録をもった、スゴイ個体なのである。

 丸子の死亡により、日本からミナミゾウアザラシは「絶滅」してしまった。世界中の動物園・水族館でもほとんど飼育例はないようで、もう飼育下にミナミゾウアザラシはいないかもしれない。このご時世に再び野生から捕えてきて飼育展示するということは許されない。もしかして保護個体などが収容されることは今後もあるかもしれないが、飼育下個体群を確立するというところまではいかないだろう。つまり、今後わたしたちは、この巨大でユーモラスな動物が見たかったら野生(南極海周辺!)に見に行くしかない、ということになる。
 今回この記事を書くにあたりミナミゾウアザラシについて調べていて思ったのは、大型哺乳類のわりに、意外と寿命が短いということだ。ゾウやカバや大型類人猿などは場合によっては50年以上生きることも珍しくない。仮に繁殖がうまくいかなかったとしても、そんなにすぐに動物園からいなくなることもないだろう。だがミナミゾウアザラシはとても短い。ここに国内絶滅の一つの要因がありそうだ。
 さらに、短い寿命ならばいっそう、飼育個体の維持のためにはコンスタントに繁殖が続くことが必要だ。しかしミナミゾウアザラシでは、その巨大さゆえに、満足に繁殖できる施設を用意するのも難しい。それは日本での繁殖例が1例しかないことからも明らかだろう。もし新たに飼育ができるとして、本来の生態に則した飼育施設を設計するならば、1頭の成獣オスに数頭のメスがいるハレムで飼えるような施設を目指すべきだ。それはつまりオスの“余剰個体”も複数出てくることになる。彼らを飼育する個別のスペースも必要だ…。こう考えると、現代の動物園の基準でみて、どうもこれは飼えない・飼ってはいけない動物のように思えてくる。
 寿命が短いからこそこういうことが見えてきたが、長い場合はどうだろう。危機感を抱きにくいぶん、もっと深刻な事態の種類があるかもしれない。さらに、長い生涯にわたって、じゅうぶんな福祉レベルを提供できているだろうか。ネズミなどのもっと寿命が短い動物はどうだろうか。満足に収容スペースを用意し、コンスタントに繁殖を継続させ、累代飼育できているだろうか。野生からの搾取が続いていないだろうか。今はまだ当たり前にいる動物でも、そういう飼育を続けていたら、今後は「飼えない・飼ってはいけない」種類とみなされてしまうかもしれない。そうみなされる前に、今できることはないだろうか。ミナミゾウアザラシの国内絶滅を通して、動物園での飼育のあり方を、改めて考え直す機会が必要なのではないかと思う。

(参考文献:上野動物園(1982)上野動物園百年史、高島春雄(1986)動物物語、村山司ほか(2010)海獣水族館)

綿貫宏史朗
1986年熊本県生まれ。東京農工大学獣医学科を卒業後、京都大学霊長類研究所に勤務。現在、同研究所の研究員および公益財団法人日本モンキーセンターにて学術部所属キュレーター(兼任)を務める。学生時代より動物園マニアとして活動を展開し、国内外の約200ヶ所の動物園・水族館を訪問。2009年よりNPO法人市民ZOOネットワークの理事も務める。

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