種はフィクションである。

      2016/04/16

 アンティルイグアナ、というイグアナがいる。
 カリブ海に浮かぶアンティル諸島に生息しているイグアナで、島の名前から和名がつけられた。有名なグリーンイグアナの近縁種、ということになっていて、見た目は瓜二つである。グリーンイグアナのトレードマークとも言える、頬にある丸い大きな鱗がないことが見分けるポイントだ。
 昨年、日本に初上陸を果たしたばかりのアンティルイグアナだが、実は種の存続が危ぶまれている。もともと分布域が狭い上に、その分布域に人為的にグリーンイグアナが持ち込まれ、交雑が起きているからである。対策をとらなければ、純粋なアンティルイグアナが消滅してしまうのではないかと危惧されている。今後地球上から姿を消す恐れの高い希少野生動物のひとつだ。
 ……ということになっている。
 ひっかかるような言い方をしたのは、アンティルイグアナを独立した種として扱っていいかどうかは、実は微妙な問題だからである。
 なるほど確かに、グリーンイグアナとアンティルイグアナとでは見た目が違う。生態も微妙に異なる。グリーンイグアナは大型個体ほど樹上を好むが、アンティルイグアナは地上を好む。それに、両者は本来、別々の場所に分布している。別種と判断する根拠は、なくはない。
 けれど、それだけで本当に別種としてしまっていいのかというと、簡単にはイエスと言えないところがある。
 グリーンイグアナとアンティルイグアナを別種とする判断は、形態学的種概念あるいは、地理学的種概念に基づくものである。前者はもっともナイーブな分類方法で、人間の目で見て見た目が違うから別種とする分類方法、後者は、地理的に隔離されているものは別種として扱う、という分類方法だ。書いてしまえば一目瞭然だが、いずれも恣意的な分類方法である。形態的に違いがあって、地理的に隔離されているならば別種だ、というのであれば、日本列島に生息しているモンゴロイドと、グレートブリテン島に分布しているコーカソイドは別種、ということになってしまうが、サイモン・レイボーン氏は移入種で、ベッキーは駆除されるべき交雑種だと考える人はレイシストの謗りを免れないであろう。ミズオオトカゲなんかも島ごとにだいぶ見た目が違うが、やつらは別種ということにはならないのか、とも言える。同じように見た目が違い、(本来の)分布域が異なるのに、一方は同種で一方は別種と判断するのは、ちょっと筋が通らないような気がする。亜種と種の違いはどこにあるのか、ということになってしまう。
 モンゴロイドとコーカソイドが同一のヒトという種だという判断は、マイヤーが1942年に発表した、生物学的種概念という分類方法に基づくものである。これは、生殖的隔離(同一地域に分布していても互いに交雑しない、交雑しても雑種に生殖能力がない)が成立している2者は別種として扱う、というものだ。この概念に基づけば、同一地域に存在した場合、交雑して生殖可能な子孫が生まれるグリーンイグアナとアンティルイグアナは、端的に同種、ということになる。アンティルイグアナはグリーンイグアナの亜種、あるいは地域個体群、ということになるだろう。
 とはいえ、生物学的種概念も絶対ではない。たとえば、これは植物の例になるけれど、コナラ属の植物はしばしば種間交雑が起こる。アラカシとシラカシが交雑しながら、それでも互いに交じり合ってしまうことなく、別種としてそれぞれ同所的に存続し続けていたりする。アラカシとシラカシは、果たして同種なのか別種なのか。あるいは、ヤナギムシクイという鳥の例を挙げてもいい。チベタン台地をぐるりと取り囲むように分布しているこの鳥は、互いに隣り合う個体群同士では交雑が起こるが、地理的に遠い個体群同士では生殖的隔離が成立している。個体群がA、B、C……と並んでいるとして、AとB同士、BとC同士は交雑するが、AとC同士は交雑しない、というような状況である。生物学的種概念では、このような状況をうまく説明することができない。とすれば、交雑が起こるからといって同種だと言い切ることも難しい、ということになる。
 果たして、グリーンイグアナとアンティルイグアナは、別種なのだろうか、同種なのだろうか。
 結論を言ってしまえば、生殖的隔離の起きていないグループ同士を、「同種」として扱うのか「別種」として扱うのかという問題には、今のところ、結論が出ていない。
 というよりは、「種」という概念自体が、実はフィクショナルなものである、と考える方が実態には即している。
 生物分類の基本単位が「種」とされ、ホビーの対象として流通する爬虫類たちも基本的に種で区別され、法令の規制も種ごとに定められている。あたかも化学での元素記号のように「種」が扱われているから、つい、そこには「実態」があるものだと思い込んでしまうけれど、実際には、それは、進化・分岐しながら時間的には連続的に繋がっている生物たちの間に、人間が恣意的に区切りを入れたものに過ぎない。あらかじめ種という「実態」があって、それに基いて分類をしているのではなく、連続的な「生物」の間に人間が勝手に区切りをいれて、「種」という概念を作り出しているのである。1つのホールケーキにナイフを入れて、いくつかに切り分けるように。どのように分類するのが正しいのか、という議論は、だからどのようにケーキを切り分ければ公平か、という議論と同様の、アドホックなものに過ぎない。5つしか苺の載っていないケーキを6人で分ける時にはどうしたらいいのか。苺のない人の分だけケーキを大きくするとしたら、どれくらい大きくすれば適当か。そのような問いに、絶対的な答えはない。同じように、どのように種を分類すれば適当か、という問いにも、絶対的な答えはない。その時その時で、妥当と思われるラインを場当たり的に決めているのである。アンティルイグアナの例でいえば、グリーンイグアナの地域個体群としてしまうよりは、独立した種と定義した方が、保全活動の動機付けがしやすい。だったら見た目も違うし、独立種にしておくのが「妥当」だろう、というように。
 遺伝子解析の技術が発達したので、さまざまな生物について、遺伝的変異に基づいた系統樹を書くことは容易になった。理論的には、地球上に存在するすべての生物のすべての個体の系統関係を1枚の紙に書くことはできそうである。問題は、その系統樹の枝のどこまでを、ひとつの「種」にまとめるか、ということだ。分類して、名前をつけなければ、人間はそれを思考の対象として扱うことができないから、「種」という概念自体を放棄することはできない。ではどうするか。種をめぐる議論は、その「運用方法」についての議論なのである。
 だからいつまでも答えは出ない。学者さんは大変だが、逆に言えば我々ホビイストは、分類の再編に何度でも驚き、楽しむことができるわけである。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

 - 自然