繁殖は計画的に

      2016/02/23

 私は今年、実家に帰らなかった。
 例年、年末年始の休暇は実家で過ごすことにしているのだけれど、今年はそうせずに、自宅アパートで年を越した。
 ひょっとしたら、むぎが卵を産むかもしれなかったからである。
 ニシアフリカトカゲモドキは、交尾がうまくいった場合、早ければ交尾から2週間くらいで産卵するという。
 私がむぎとにれを最初に交配させたのが12月の半ばだったから、万事がうまくいっていれば、ちょうど年末に、産卵する可能性があった。初回の交配は傍目にはうまくいっているように見えなかったし、産みそうな気配もあまり感じられなかったけれど、万一留守にしている間に産卵して、卵がだめになってしまったら嫌だったので、念のため、帰省を見合わせることにしたのだ。
 おかげで、いくつかの不義理をはたらくことになってしまった。
 両親に顔を見せない、というのももちろんだし、毎年正月に飲んでいる地元の仲間からの誘いを断ったのも、年末に会おうという大学の同期との約束を反故にしたのも、人付き合いのマナーとしては問題だろう。彼らが私に対して抱いていたわずかばかりの信頼は、おそらくいくらか損なわれてしまっているはずだ。もうお前は誘わない、と思われても、文句は言えない。
 それでも、背に腹は代えられなかった。
 もしものことがあれば、後悔するのは目に見えていたからだ。
 結果として、その5日間の間にむぎは卵を産まなかったから、私の不義理はほとんど無駄になってしまったわけだけれど、まあ、それはあくまで結果である。事前にそんなことはわからない。もし、家を空けたせいで卵がダメになってしまうことがあったら、それは間違いなく「炎上事案」になるはずで、ということは、「家を空ける」という選択肢ははじめから用意されていなかったも同然なのである。
 とはいえ、親しい人間にまったく会わないお正月、というのはなかなか味気ないものであった。
 ニシアフのベビーが見たい、という欲望を叶えるために私が売り払ったのは、どうやら「自由」であったらしいと、大晦日に私は気づいた。
 そうか、繁殖に挑戦するとは、こういうことなのだな、と、1人でビールを飲みながらしみじみ思ったものである。
 ニシアフリカトカゲモドキは、交尾に成功すると、その後2週間から1ヶ月ほどで最初の卵を産卵し、その後も、1~数週間おきに何度か産卵を繰り返すという。その期間は、長ければ2~3ヶ月ほどにもなるそうだ。その間は、産み落とされた卵を親に踏み潰されたりしないように速やかに回収し孵卵器に入れるためにこまめにケージをチェックし、母体が健康を損なわないように栄養価の高い餌をまめに給餌しなければいけない。産み落とされた卵が孵化するまでには2ヶ月ほどかかるから、その間は、乾燥しないようにまめに給水したり、死んだ卵を取り除いたり、カビを防いだりと手を焼かなくてはならない。成体ならカビが来たら避けるし、喉が乾いたら水を飲みに行くけれど、卵は自分では何もできないから、こちらが手を掛ける必要がある。生まれたら生まれたで、赤ん坊は弱いから、目を離すことはできない。と、なんやかんやで半年やそこらは、トカゲモドキの管理に追われることになる。今年のお正月のような事態が、半年間続く、というわけだ。その間、飼い主の自由は制限され続けることになる。長期間の旅行もできないし、動物にストレスのかかる引っ越しにも慎重にならなければいけないだろう。繁殖に取り組んでいるせいで、せっかく舞い込んできた仕事の話を断らなければいけない、ということも、あるかもしれない。
 動物を繁殖させるというのは、そのような不自由を、まるっと背負い込むことであるわけなのだ(動物を飼うこと自体、そうかもしれないけど)。逆に言えば、その不自由を仕事上の、あるいは社会的な事情で許容できない場合には、繁殖に挑むべきではない、ということになる(すみません、トカゲモドキが卵産みそうなので今度の遠征パスさせてください、というような者は、トルシエにもジーコにも岡ちゃんにもザックにもハリルホジッチにも呼んでもらえないであろう)。
 繁殖は計画的に行わなければいけない、という警句のうちには、そういう意味もあるのだなぁ、と、紅白歌合戦をBGMにトカゲモドキを眺めながら思ったのである。
 生まれてくる命に責任を持つ、というのは、なかなか大変なことである。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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