ジレンマ

      2016/02/15

 環境省は、観賞魚として人気の高いアリゲーターガーなどガー科の魚を、近く特定外来種に指定する方針を固めた。
世界最大級の淡水魚、在来種襲う…生息域拡大 : 環境 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 ペットとして飼育された後に遺棄されたとみられる個体が生息域を拡大し、在来魚を食い荒らすなど、生態系へ深刻な影響を与えているためだ。
 特定外来種に指定されれば、輸入・販売・飼育・繁殖いずれもが禁止されることになる。
 報道があってからしばらくの間、ネット上には、そのことを残念に思う愛好家の声が飛び交っていた。
 魚を飼う趣味を持たない私も、このニュースには、少し、寂しいものを感じた。
 もちろん、環境省に理があることは論を待たない。現に在来種に被害が出ている以上、その拡大を防ぐために手を打つのは当然のことだ。人間はそう簡単には賢くならない。過去にガーを捨てた者がいた、という事実は、これからもガーを捨てる者が現れる、ということを高い確率で保証するだろう。それが誰になるか予測ができない以上、「もう誰にも飼わせないようにする」のは当然の判断だと言える。むしろ、まるごと「生物多様性ホットスポット」(世界的に見て生物多様性が高い一方で、人間による破壊の危機に晒されている地域)に指定されているような環境保全上重要性の高い国に住んでいるにも関わらず、これまでガーを自由に飼育できたことの方が僥倖だった、とさえ言えるかもしれない。ガラパゴス諸島のように、外来生物は一切持ち込み禁止とされていたっておかしくないのだから。環境保全を第一に考えるなら、それがまともな判断であって、私たちは「お目こぼし」を受けているに過ぎないのだ。ガーが特定外来生物に指定されることが確定したとしても、それは言わば、執行猶予中に犯罪を犯して執行猶予を取り消された、みたいなものなのだ。
 と言って、残念に思う気持ちをかき消すこともできない。ガーは妥当な判断だとしても、「外来種は入れない」という姿勢が政治的に正しいものになりつつある、という大きな流れには、どうしてもやりきれないものを感じてしまう。
 この手のニュースを目にするたびに、私たちの心は板挟みに苦しむことになる。
 虫捕り少年から正しく卒業し損ねたせいで生き物を飼い続けているタイプの人間にとって、外来種の問題はほとんどジレンマの代名詞だ。
 「足元の自然」は、そのテの人間のアイデンティティーを基礎づけるものである。それが損なわれることに心を痛めない者はいない。そして、その自然を守ることを考えるなら、外国産の生物は、少なくとも生きた状態では一切国内に持ち込まないようにするのが最善であることもわかっている。けれど、その一方で、足元にはない、遠く離れた世界の自然を感じさせてくれる生き物たちを飼育下で間近に観察することもまた、アイデンティティーの重要な部分を担っているのだ。その機会の喪失には、やはり痛みを感じずにはいられない。
 わがまま、と言われればその通りだ。
 おとなしく、外来種の全面輸入禁止に従うのが、大人としての正しい態度なのかもしれない。
 でも、それではなかなか気持ちの収まりがつかないのである。
 だからどうしろ、というものでもない。
 末端のいち飼育者が何か言って変えられるものでもないだろう。
 私にできるのは、「飼うなら最後まで責任を持って」とお願いをすることだけだ。
 捨てられた生き物によって足元の自然が損なわれることも、その懸念が大きくなるあまりに外国産の生き物の飼育ができなくなることも、私にとっては、どちらも悲しいことなのだ。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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