ゴキブリ、脱走す。

      2016/04/16

 今日、私は、自宅に緊急事態が発生していることに気がついた。
 気づいたのは、トカゲモドキたちに与えるコオロギをホームセンターで購入し、コオロギ用のプラケースに移そうと棚からケースを引っ張り出した時だ。
 私は、蓋の上に、なにやら動くものの姿を認めた。
 見慣れないシルエットである。昨日逃走したコオロギよりはずっと小さい。外の虫でも入り込んだのだろうかと思い、よく見ようとすると、その物体はプラケースの網の目をくぐってコオロギのケースの中に入り込んだ。
 姿を確認するために、プラケースの蓋を外してひっくり返すと、蓋の裏にそれは張り付いていた。
 ナンダコレハ?
 顔を近づけてよく見てみる。
 長い触角。小判型の体型、茶褐色の体色。
 ん?
 それは、記憶にある「あるもの」の姿にとてもよく似ていた。
 これは、まさか。
 私は愕然とした。
 そう、それは、明らかに、ゴキブリの幼虫なのだった。
 まじかよ。
 背中に悪寒が走る。
 ここ、まだ築1年半のアパートだぞ。
 もう出るのか、ゴキブリが……。
 クロゴキブリにトラウマを持つ私は恐怖を覚えた。
 が、しかし。
 すぐにおかしいと気がつく。
 よく知っているクロゴキブリの幼虫とこの幼虫とは、見た目がいささか異なる。
 それに、動きがなんだかどんくさい。クロゴキブリの幼虫ならばこんなにじっとしてはいないはずだ。
 幼虫は、蓋の裏をのそのそと歩いている。まるでオカダンゴムシと見紛うばかりのゆったり加減だ。バッタの飛翔についていけない子どもたちのお友達。
 これは……この動きは……。
 私はハッとして、コオロギケージのすぐ上の段に置かれているプラケースを覗いた。
 それは、マダガスカルオオゴキブリのケースであった。中には、それこそ巨大なダンゴムシのような成虫が鎮座している。
 私は、手元の幼虫と、プラケースの中の成虫の姿を見比べた。
 ずんぐりむっくりの体。にぶい動き。
 確信はすぐに訪れた。
 間違いない。これだ。
 私は幼虫を手で捕獲してコオロギのケースを戻すと、ゴキブリのプラケースを取り出し、蓋を開けてみた。
 上からは、コルクバーグの上を定席としているオス成虫(ゴキ太郎)の姿しか見えない。しかし、きっとこのどこかにいるはずだ。
 コルクバーグを持ち上げてみる。コルクバーグの下には、メス成虫(ゴキ姫)の姿がある。体を強ばらせて警戒音を発するゴキ姫。しかし、その周りにも幼虫の姿はない。
 残るは餌容器として入れてある小皿(正確にはリクガメフードの容器の蓋)の下である。
 2匹と幼虫をコルクバーグに止まらせて片方の手に持ち、私はその小皿を持ち上げた。
 そこには、コオロギのプラケースで見つけたものと同じ姿をした幼虫が、10匹ほどうずくまっていた。
 !
 やはりそうだった。コオロギのプラケースについていた幼虫は、マダガスカルオオゴキブリの幼虫だったのだ。
 私は胸を撫で下ろした。変なゴキブリではない。たまたま、生まれた幼虫が外へ出てしまったのだろう。
 クロゴキブリが発生したのではないなら安心だ。
 しかし、ほっとしたのはつかの間だった。
 目の前の光景に含まれる、矛盾に気がついてしまったからだ。
 私が確認した幼虫は、コオロギのプラケースの上にいた1匹と、ゴキブリのプラケの中に潜んでいた10匹ほどのみである。
 一方、卵胎生のマダガスカルオオゴキブリは、1度に30~40匹の子ゴキブリを産むと言われている。
 40匹対10匹。
 数が足りないのだ。それも、圧倒的に。
 私の背中を、ふたたび、冷や汗が伝った。
 結論は単純にして、残酷だった。
 あと少なくとも20匹の幼虫が、この部屋のどこかに潜んでいる!!
 ということは、この部屋は今現在、オフセット衝突的にゴキブリと遭遇する可能性のある状態になっているということだ。
 私は戦慄した。
 それは……困る!
 確かに、マダガスカルオオゴキブリは飛ばないし、動きも鈍い。人に向かって飛んで来るようなことはないだろう。別に体を這われてもいい。しかし、それでも、朝起きたら枕元のゴキブリと目が合ったというような体験は、あまり気持ちのいいものではない。奴らは顔だけは120%ゴキブリだからだ(当たり前だが)。寝起きに会ったら絶対パニクる。
 だが、何より困るのは、やつらがこの部屋から漏れ出してしまうことだろう。マダガスカルオオゴキブリは動きは鈍いが、ゴキブリらしく垂直の壁も登ることができる。機動性は十分である。外へ出て行く可能性は否定できない。ワモンだって本土に進出しているのだ。そうなったら、こいつらだって定着しないとも限らない。それ以前に、アパートの別の部屋に7cm級のゴキブリが出没なんてしたら、絶対にまずい。それで慰謝料請求がどうのこうのという話が、戯れに読んだ司法試験対策かなにかの問題に書いてあった気がする。
 私は、ゴキブリのケースに脱走防止用のネットを被せ、すぐさま飼育室(寝室だが)を片付け、めぼしい場所を探索してみた。脱走したコオロギは何匹か見つかった。しかし、ゴキブリの姿は見つからない。が、それはむしろ不安を深める作用しかもたらさない。
 見つからないことは、いないことの証明ではないのだ。
 可能性は、ゼロではない。
 とてもポジティブな言葉をとてもネガティブな気分でひとりごちながら、私はクロスバイクにまたがり、久々のトップギアでホームセンターへ向けて走らせた。メンテナンス不足の膝(そっちかよ)が悲鳴をあげるが構ってなどいられない。求めるものは、もちろん、おなじみのアレだ。
 30分後、私は、鼻息荒く(半分以上は全力で自転車を漕いだせいだ)、ゴキブリホイホイを組み立てていた。粘着面に袖をくっつけてしまったりという不器用さを遺憾なく発揮しながら、室内5箇所にホイホイを設置する。
 愛でているといいながらせっかくの幼虫を殺してしまう方法を採用しているが、背に腹は代えられない。逃げたゴキブリは1匹残らず確保しなくてはならないが、ゴキブリ相手のかくれんぼに、人間が勝てるわけがないのだ。
 一抹の不安は残る。
 屋外型のゴキブリも、これで捕獲することができるのだろうか。
 しかし、試してみるよりほかはない。
 どうかかかりますように。
 私は祈りを天に捧げた。
 これからしばらく、不安な夜が続くことになる。
 不注意は一瞬だが、事故は一生だ。
 みなさまくれぐれも、飼育動物の脱走にはご注意を。

1986年生まれ。幼少期より生き物と戯れて育つ。2011年、東京農工大学農学部獣医学科卒業。同年より小動物臨床に従事。在学中から、WordPressを利用してブログを書き始める。ニシアフリカトカゲモドキと出会った2014年に内容を一新、爬虫類ブログ「とかげもどきのしっぽ。」を立ち上げ、現在に至る。ニシアフリカトカゲモドキをはじめ、多くの爬虫類と暮らしている。

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